人はそう簡単に死なない(清水の舞台から飛び降りようとも)

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
スパロボなら85%なんて楽勝でかわされるわ

おまとめ三行

今年の抱負どうすっぺなー
これはパラドックスかな?
I can fly!!

何か大きな決断をするときに「清水の舞台から飛び降りるつもりで」って言い方をしますよね。決死の覚悟の代替的な言い方とでも言うべきでしょうか。

ちなみに昔の文献によれば、実際に飛び降りた人の生存確率は、85%くらいあったそうです。この数値を大きいと取るか小さいと取るかは難しいとこですが、まあ、それなりに生き残ることは可能だったんですね。

通常は、清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟で事に当たれという意味合いで使われるこの言葉ですが、じゃあ、こんなのはどうかしら?



清水の舞台から飛び降りるつもりで、清水の舞台から飛び降りる



特に何か大きな決断を迫られているわけじゃないけど、清水の舞台から飛び降りたいと思っている人がここにいたとする。実際に飛び降りるとどうなるんだ、たいした怪我もなく済むのか、それを確かめたい。しかしなかなか踏ん切りがつかない。覚悟を決めなければ。よし、ここは清水の舞台から飛び降りるつもりで、清水の舞台から飛び降りよう! そんな感じ。

これは、パラドックスなんですかね?

気持ちの面では、舞台から飛び降りるつもりで覚悟を決めているだけだけど、その後実際に飛び降りるわけですから、「つもり」じゃなくなっちゃうわけですよね。つもりってのは、それと同じだけの状態に気持ちを持っては行くけれど、実際にそれを実行するわけではないって意味ですからね。でもこれだと、何て言うか、もう単純に「覚悟を決めて清水の舞台から飛び降りる」っていう、それだけのことになっちゃいますわな。つもりも平敦盛も女体盛りもない。



もっともこのことわざは、本来は願掛けのようなものだったそうで、七夕のときに短冊に願いごとを書くのと一緒で、願いごとを秘めて清水の舞台から飛び降りれば願いが叶うっていう、そんな感じだったそうです。

その考えで行くと、この人は願掛けを行なった瞬間に願いが叶うわけですよね。清水の舞台から飛び降りたいっていう願いを持って、清水の舞台から飛び降りるわけですからね。あっさり成就っすわ。

こっちの場合だと、別にパラドックスって感じではないですかね。



ま、この考察に特に意味はないです。こんなこと考えてる暇があるなら、今年の抱負でも考えたらどうだって話っすわ。

今年の抱負ねえ……そろそろ、何か大きなことを成し遂げる一年にしたい気もするけれど、具体的なビジョンがこれっぽっちも浮かばないわ。それこそ清水の舞台から飛び降りるくらいに気合いを入れないと、そういうのは見つからないかもしれないね。

そうなると、さしずめ今年の抱負は、清水の舞台から飛び降りるくらいの意気込みで、清水の舞台から飛び降りる覚悟で望むほどのでっかい何かを見つけるってことになるのかな。

これは、パラドックスなんですかね? それともトートロジー?

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