今こそサラダデイズ

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
ウユニ塩湖です

この記事を三行にまとめると

私の鼻がアスパラガスのように長かったら
そんな出会いが、待っているかもしれない
俺たちのサラダデイズはこれからだぁっ!
サラダデイズとは、一言で言えば「青春の日々」みたいな意味です。若さと甘酸っぱい思い出に満ち溢れていた、まだ穢れを知らない、夢や理想は何でも現実になると、それを疑うことすら知らなかった、そんな日々。

僕のような枯れたおっさん一歩手前くらいの人間からすれば、遠くて懐かしい日々になるわけですが、でも、本当にそれはもう、過去のことでしかないのでしょうか。僕たちにはもう、毎日が新鮮さで埋め尽くされていたあのサラダデイズな時間を、送ることはできないのだろうか。

サラダデイズって言葉は、シェイクスピアの書いた戯曲の中に出てきます。アントニーとクレオパトラという作品中で、クレオパトラの有名なセリフがあるんですよ。「私の鼻がアスパラガスのように長かったら、きっと歴史は変わっていたのね」っていう(もちろん嘘です)

実際は「私がサラダのように青々しく若かった頃は……」みたいな感じで、サラダデイズという言葉を使っています。新鮮な野菜ってことで、当時の自分には瑞々しさがあった、みたいな意味も、込められていたのかもしれません。世界三大美人の一人である、あのクレオパトラですからね。そりゃあもう、若い頃の瑞々しさは半端なかったことでしょう。さぞかし瑞々しくて濡れっ濡れだったんでしょう。瑞と端と濡って、字が似てるね。

ようするに、新鮮な野菜のような青臭さが、若い青春時代とかかっているわけですね。納得です。



ところで、サラダの語源はご存知でしょうか?

サラダ(salad)は、ラテン語で塩を意味する「sal」が語源のようです。英語でも、塩はsaltと言いますね。またサラダにかけるものと言えば、今はドレッシングなど種類が豊富にありますが、昔は塩で味付けするのが一般的だったようで、それも語源の一端になっているという説もあります。

塩が語源となっている単語は、いくつもあります。例えば、給料を意味するサラリー(salary)もその一つ。「塩を買うためのお金」みたいな意味があるそうですね。昔は塩が貴重品でしたので、古代ローマ時代なんかでも、塩を買うためにお給料が支払われていました。塩そのものが報酬として支払われていたという話もありますし、その辺りが、サラリーの語源となっているようです。

なるほどねぇ……サラダもサラリーも、語源は一緒なわけですか。つまりこの二つは、同じ母の胎内から生まれた兄弟みたいなもんですよ。

それならば。

サラダデイズってのは、必ずしも若い身空でしか体験できないことではないのかもしれない。社会に出てサラリーをもらうようになった大人たちにも、サラダデイズはあるのかもしれない。むしろサラリーマンにこそ、サラダデイズがあるのかもしれない。

毎日毎日、上司に怒られ、得意先に無理難題を吹っかけられ、同僚は先に出世し、部下からは信頼されず、女子社員からはキモいと陰口を叩かれ、身も心も削られて、それでもサラリーをもらうために、会社に尽くさなければならない。そんな人にも、サラダデイズはきっとある。

日々の疲れを癒やそうと、ふらっと立ち寄った場末のスナックでソルティドッグを飲んでいたら、隣の席に同じように仕事の疲れを抱えている女性がいた。互いに仕事の愚痴を言い合う内に妙な連帯感が生まれ、いつしか連帯は恋愛へと昇華し、二人のサラダデイズが始まる。そんな出会いが、待っているかもしれない。



ようは、老若男女を問わず、働いてサラリーをもらっている皆さんも、もう青春は戻ってこないと悲観する必要はないってことですね。たとえブラック企業に勤めていようとも、お金がなくて毎日塩おにぎりばかり食べていても、野菜が嫌いでサラダを一切食べなくても、友達がいなくてペットの犬とばかり遊んでいても、婚期を逃し根気よく婚活を続けてるのに良い出会いに恵まれなくても、まだまだ青春はやってくる。人生が打ち切り終了になるその日まで、フラグは常に存在し続けるってことですね。

だから今日のところは、来たるべき青春の日々に備えて、タン塩でも食べて英気を養っておきましょう。

俺たちのサラダデイズはこれからだぁっ!
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