閃きや才能は知識や努力で得られるものではないというのが、あいつの持論だ。
だからあいつは何の努力もせず、知識を蓄えるようなこともしない。
当然ながら、才能を発揮することもなければ、閃くところも見たことはない。
たぶん、だからこそ、自分の持論に対する自信を失わないのかもしれない。