神様の実験

「この星に人類が誕生して、数千万年。人口は二百億を超え、科学、芸術、あらゆる文明は栄華を極めた。しかし、どんな山も頂上まで登ってしまえば、あとは下ることしか出来ない。我々人類は文明を発展させ過ぎた。その衰退を止めることが出来ず、今はもう、見る影もない。だからせめて、我々がこの星に生きた証を、ここに残しておく。また何れ、何処かの星に人類が誕生した時に、この遺産が役に立つことを願って」
 男がマイクを置いた。マイクに拾われた音声は録音され、その他の膨大な情報と共に、このロケット型の大規模記憶装置に収められる。
「終わりましたか?」
「ああ、これで完成だ」
 声に誘われるように男は後ろに振り返り、声の主に言葉を返した。
 目の前は、見渡す限りの荒野。栄華を極めた文明の面影を見ることは出来ない。人工的な建造物は一切見当たらず、人の姿もない。
 この場いるのは、一組の男女だけ。
 正確には、この星に残っている人間が、今ここにいる二人だけ。
「ついに完成ですか……これでもう思い残すことはありませんね」
「ああ。時間が掛かったが、必要な情報は全て入力出来た。あとは飛ばすだけだ」
 二人がロケットを見つめる。
 ここには、栄華を極めた文明の、ほぼ全ての情報がインプットされている。コンピュータの作り方、水を電気に変換する方法、世界中で流行した音楽、発見した物理法則。これまでに人類が積み上げて来たものが詰まっている。
「これからどうしましょうか」
「そうだな……我々のやるべきことは、終わってしまったからな。だからと言って、このまま黙って死ぬのを待つっていうのも、寂しいものはあるな。最後にもう一度くらい酒でも飲めれば、少しは気が晴れるかもしれんが」
「そんなあなたに朗報です。こんなものを見つけましたよ」
 女が背負っていた鞄を下ろし、中身を取り出す。
「干し肉とお酒です。東の外れの方に地下蔵がありまして、そこに。恐らく、あの辺には少し前まで人が残っていたんでしょう」
「干し肉か……まだそんなものが手に入るとはな」
「そうですね。もう生物なんて何処にもいませんからね」
「よし、じゃあその肉と酒で、最後の晩餐でもやるか」
「はい」
 二人は笑い合って、数年ぶりとなる肉と酒を味わった。
「酒ってこんな味だったなぁ。久しぶり過ぎて、味を忘れてしまっていたよ」
「もう随分長いこと、水と草以外のものを食べていませんからね。この干し肉も、懐かしい味がしますよ」
「何だかいろいろなことを思い出してしまうよ。過去に戻って、浴びるほど酒を飲みたくなってしまう」
「タイムマシンが完成していれば、それも可能だったんですけどね」
「結局、人類はその夢を叶えられなかったからな」
「もし過去に戻れるとしたら、どれくらい前に行ってみたいですか?」
「そりゃまあ、やっぱり衰退が始まるずっと前……百年以上前に行きたいな」
「私も、行けるならそれくらいが良いですね」
「本当に、急激に始まったからなぁ……」
 ほんの百年ほど前までは、まさしく栄華を極めたという言葉が相応しいくらいに、人類は栄えていた。肉も酒も腐るほど手に入ったし、荒野なんて言葉が辞書から消えても良いくらいに、世界中が開拓されていた。空を見上げれば、カラスは見つからなくても、自由に飛び回る車を見掛けないことなどなかった。
 ところがここ数十年の間に、急激に人類は衰退を始めた。行き過ぎた文明は小さな亀裂を生み、ダムが崩壊するように、その亀裂は一気に人類を絶滅寸前にまで追い込んだ。人類だけではなく、他の生物までも。
 いろいろと手は尽くした。世界中の科学者達が衰退の原因を調べて解決策を講じ、それを受けた企業や研究所が実行に移した。
 だが、無駄だった。
 星そのものが、甚大な被害を受けていた。そのダメージはどんな回復魔法でも癒すことが出来ず、もはや消滅を免れることは不可能だという結論に至らざるを得なかった。
 宇宙に避難しようとする者もいた。しかし周りに住める星がない。衰退することが分かっていれば他の星を開拓でもしていたのだろうが、栄華を極めた所為もあるのだろう、この星から出る必要性を、人類は感じていなかった。だから宇宙に出ることは出来ても、逃げ出したところで行き場がないのだ。
 過去に避難しようとする者もいた。タイムマシンは完成出来なかった。理論は完成していたし、それを実現するだけの技術力もあったのに、それでも尚、過去に行くことが出来なかった。どうしてなのか、最後まで分からないままに。
 結局、人類は衰退の一途を辿り続け、出来ることと言えば、今まで自分達が築いて来たものを遺すことだけ。他の星に生命が存在するかはまだ確認出来ていないが、もしいるならば、自分達の遺したものを伝える。その願いだけが、人類に残った。
 そこで人類は、ロケット型の記憶装置を造った。可能な限りの情報を入力し、宇宙に飛ばす。誰かの目に触れることがあるかどうかは、神のみぞ知るところ。
 ここ数十年、人々はこの記憶装置に情報を入力することにのみ注力し、衰退を止めることはしなかった。諦めた、と言うのが正直なところだ。
 諦めて以降は早かった。瞬く間に建物は壊れ、資源は枯渇し、人々は数を減らした。
 今では、たった二人の人間と、一つのロケットを残すのみ。
「ここ以外に、生命のいる星ってあると思うか?」
「さあ……どうなんでしょう? でも確率的に言えば、この星にだけ生命がいる方が、不自然な気もします。宇宙には無数に星があるのですから」
「じゃあ、いて欲しいと思うか?」
「……そうですね。せっかくこんな大掛かりな装置も造ったんですから、いてくれた方が嬉しいですね」
「そうだよな。いないと思ってたら、こんなものは造らんよな」
 首だけ後ろを振り返り、男はロケット型記憶装置を見た。
「こいつはこれから何十年、何百年、もしかしたら何万年も、たった一人で宇宙を漂い続けることになるのだな」
「少しだけ、不憫に思えてしまいますね。人類の願いをたった一人で背負って、宇宙を漂い続けるなんて」
「明日の朝これを飛ばしたら、本当に我々の使命も終わりか」
「この星の寿命も、あと僅かですからね」
「我々は、最期を見届けられることを、幸運に思うべきなのかな」
「難しいですね。そう思えた方が幸福だとは思いますが」
「……そうだな。結局は、気の持ちようか」
 男は、残った酒を飲み干して、ロケットをじっと見つめた。
 何かもう少し言いたいことがあるような気がしたが、それが口から出ることはなかった。女の方も何も言わず、黙ってロケットを見つめていた。
 無言のまま二人は最後の晩餐を終え、眠りに就いた。
 夜明けと共に起き、ロケット発射の準備を始める。準備と言っても、発射の為のプログラムは全て設定済みである。二人がやるのはボタンを押すことだけ。
 爆風に巻き込まれないよう、ロケットから数キロ離れた位置まで移動する。見渡す限りの荒野だから、何キロ離れていようが、ロケットの姿を見失うことはない。
「では、発射するぞ」
「はい」
 男がボタンを押し、十秒ほど経って、ロケットが勢い良く発射された。爆煙をまき散らし、あっという間に見えなくなる。
「行ったか」
「いつか誰かに、届くと良いですね」
「ああ、そうだな」
 ロケットが見えなくなった後も、二人はいつまでも空を見上げていた。
 言葉を交わすことなく、何時間も。
 数日後、宇宙からまた一つ、生命の存在した星が姿を消した。


「結局、今回もダメだったか。どうして惑星というものは、人類を配置させた途端、百年と保たないのだろう? このままではいつまで経っても、我々が未来永劫に亘って居住出来る惑星を見つけることが出来んぞ」
「今回も、その解決に繋がるような発見を、人類は出来ませんでしたね。回収したロケットの全データを調べ終わりましたが、それらしい情報は何処にも……」
「また、一からやり直しか……あと何回繰り返せば良いのやら」
「もしかしたら、そんなに猶予はないかもしれませんよ。人類の方も気づき始めているようですからね。自分達の置かれている立場に」
「どういう意味だ?」
「今までと違い、今回の人類は、こんな仮説を生み出し、記録に残しています」
「……世界五分前仮説?」
「世界は五分前に始まったばかりである。今ある世界の形や人々の記憶は、全て五分前に作られたものである。自分達の住むこの惑星も、宇宙すらも、何十億、何百億年前に出来たという体を持っているだけで、実際は五分前に出来たのだ。そういう仮説です」
「確かに、何かに気づいているようだな。五分ではないが、実際に彼らは百年ほど前に、我々によって作られたからな。完成した状態の文明と共に」
「今までにこんな仮説を考えた人類はいません。これはつまり、自分達が作られた存在であることに、気づき始めている証拠と言えます」
「だが問題はないだろう。証明は出来ないからな」
「そうとも言い切れません。今回の人類は、過去へのタイムスリップにも挑戦しようとしました。データを見ましたが、理論的にはほぼ完璧です。それでも過去に行けなかった理由を、世界五分前仮説と結びつけることはしていないようですが……」
「そのうち、過去にタイムスリップ出来ないのは、本当は過去なんて存在しないからだと判断する人類も、出て来るかもしれないと?」
「延いては、我々の存在に気づく可能性も……」
「……そうだな。どちらからアプローチしようと、彼らと我々が接触するのは、干渉になってしまう。それは避けねばならん」
「嘗て私達の遠い先祖が住んでいた地球のように、数億年に亘って人類が繁栄出来る惑星を見つける……言葉で言うのは簡単なんですがね」
「そのたった一言を実現する為に、もう数百万年も費やしているからな。何百回か前の人類が生み出した格言に、言うは易し、というのがあったが、本当にその通りだ。まあ、愚痴を言ってばかりでは何も始まらんか」
「そうですね。気を取り直して次の惑星を探しましょう」

この世の果ての穴の中

欠けた月

ゴールの先に

風が吹けば