それは二十年ほど前、まだ僕が小学生の頃、突然やって来た。
「魔法使いになってみないか?」
 その人が何者なのかは二十年経った今もよく分からない。人間でないことだけは分かっている。漫画などで言うところの、仙人とか神様みたいな人だ。
 その人はいきなり僕の目の前に現れ、この世界でたった一人だけ、魔法使いになる権利があると言った。選ばれる基準は全くのランダムで、特別な資格を有している必要もない。
 また、強制というわけでもない。なりたくなければ権利を放棄できる。そのときは別の人がまた選ばれるだけ。
 僕は放棄しなかった。子どもだったからその人が何を言っているのかあまり理解できなかったせいもあるけれど、現実に魔法が使えるようになるというのは、子どもにとっては夢のような出来事だ。誰だって幼い頃は、ヒーロー戦隊の一員になって悪の組織と戦ったり、ロボットを操縦して宇宙に飛び出したり、そんな幻想を抱く。魔法も同じだ。
「魔法使いになってみないか?」
「うん、なる!」
 その日から僕は、魔法使いになった。

 資格は必要ないけれど、魔法使いになるにはいくつか条件がある。
 魔法使いであることを他人に知られてはいけない。
 魔法を悪用してはいけない。特に犯罪行為に使うことは許されない。
 いかなる理由があっても他人を傷つける目的で魔法を使ってはいけない。
 死んでしまった人の命を戻すために使ってはいけない。
 主にこの四つだ。仙人が言うには、魔法はとにかく万能らしくて、人を殺したり怪我させたりとか、死者を生き返らせることも本当は可能なのだとか。でもそれは絶対にやってはダメだときつく言われた。
 魔法使いになったばかりの頃は幼かったから、条件を守ろうって気は薄かった。どうすれば悪用に該当するのかが分からなかったというのもある。他人にバレないようにというのも、子どもがそんな器用に立ち回れるわけもない。
 その辺りは仙人も理解していたようで、魔法が誰かにバレそうになったり、僕が悪用しそうになったりしたときは、陰ながらこっそり手助けしてくれた。おかげでこの二十年間、魔法が誰かに知られることもなく、悪用せずにも済んでいる。
 ここ数年は仙人の世話になることもなくなった。僕が自分で魔法の使い方を心得てきたからだろう。
 昔は面白がっていろいろ使っていた魔法だけれど、最近はわりとちょっとしたことにしか使わなくなっている。忘れ物をしたときに物体を転送する魔法を使うとか、彼女が家に遊びに来た時に、手料理の味を少し上品にさせるとか、あとはまあ、車に轢かれそうになった子どもを助けるとか、そんな程度だ。
 そう、人助け。
 内容の濃さに違いはあるけど、主に魔法は人助けに使っている。悪用してはいけないから、自然とそういう使い方に寄って行く。
 偽善的なことは言いたくないけれど、人助けに使うのはなかなか気持ちの良いものだ。
 特に命の危険から身を護ったときは、向こうは魔法の力で助かったことなんて知らないから、ただただ、奇跡だ、と喜ぶ。そのとびっきりの笑顔を見ていると、こっちまで嬉しくなってしまう。魔法使いになって良かったと思える、一番の瞬間かもしれない。
 でもーーもしかしたらそれが、逆に良くなかったのかもしれない。
 死人を生き返らせることは無理でも、死ぬ前の命を魔法で護ることは何ら問題ない。だから、他の人だったら助けられない命でも、僕なら助けられる。
 そのことに僕は、慢心していたのかもしれない。油断していたのかもしれない。

 もしも、この世界全体の幸運の量が決まっているとするなら、幸運なことが続いている人の周りでは、いつか大きな不幸が訪れることになる。
 僕の周りでは、助かるはずのない命がいくつも救われている。これは紛れもなく幸運な出来事だ。そうなると、僕の未来にはとんでもない不幸なことが待ち構えている計算になるだろう。
 実際に幸運の量が決まっているかなんて知らないけど、そうとしか思えないような事件が、僕の身に起こった。
 彼女と一緒に海外旅行中のことだ。
 肩を並べて街を歩いていると、向こうからものすごい勢いで二台の車がやって来るのが見えた。反対車線もお構いなしに、猛スピードで蛇行している。後ろの車はパトカーっぽいから、カーチェイスを繰り広げているようだ。
「うわ……すご……」
 いつの間にか彼女が歩みを止めていた。振り返ると、僕の数歩後ろで、二台の車を呆気に取られながら見つめている。
 それだけなら、何事もなく車は僕たちの横を通り過ぎただろう。
 問題は、僕たちがいる反対の歩道から、一人の子どもが飛び出してきたことだ。
 魔法なんか使わなくても、この先の展開は予想できる。
 まさに予想通り、車は真っ直ぐに子どもに向かっていた。止まる気配もない。子どもに気づいているかも怪しい。
 僕はとっさに、車に向かって手をかざした。
 もっと冷静に考えられたら、もっと別の魔法が使えたかもしれない。車ではなく、子どもに魔法をかければ、こんな結末にはならなかったかもしれない。
 でも僕は、自分の正義感に溺れていたのだと思う。このカーチェイスを今すぐ止める方が、子どもを避けた後の被害も未然に防げると思ってしまった。
 それ自体は悪くなかったと思うのだが、方法がまずかった。
 今まで何度となく人の命を救って来た僕だから、どんな魔法でも大丈夫だろうと思ってしまった。
 僕は車をスリップさせた。そのまま子どもを避けてポールにでもぶつかれば車は止まる、そんな風に思って。
 実際、車は二台とも、狙い通りに子どもを避けた。
 でもポールにはぶつからなかった。
「あっ……」
 小さく呻く声が聞こえたので、そっちに視線をやるとーー
 彼女の体が宙を舞っていた。
「み……美奈子!」
 重力は何の遠慮もなく、彼女を地面に叩きつける。
「おい、美奈子!」
 彼女に駆け寄る。
「た……拓真……」
 空中に向かって手を延ばされた彼女の手を、僕は強く握った。
 彼女は一度だけ強く握り返してくれてーーすぐにその力を緩めた。
 応急手当をする間もなく、彼女は息を引き取ってしまった。
「……コノ……ヤロウ……!」
 僕は彼女をはねた車を睨みつけた。車は彼女をはねた後、ポールではなく壁にぶつかって動きを止めた。運転手は気を失っているのか、出てくる様子はない。
 何を仕出かしたのか知らないが、お前が暴走したいせいで、美奈子はーー。
 殺す。殺してやる。
 何の道具を使わなくても、僕はお前を殺せるんだ。
 僕は立ち上がり、車に向かって手のひらをかざした。
「そこまでじゃ、拓真よ」
「……あ?」
 僕の名前を呼びながら目の前に突然現れたのは、例の仙人だった。同時に、周囲の時間が止まる。
 この人が現れるといつも時間が止まる。だから僕以外の人間にこの人は見えない。
「拓真や。忘れたわけじゃあるまいな? 魔法で人を傷つけるのは御法度じゃ」
「で、でも! あいつのせいで、僕の大切な人は……」
「人のせいにするでない。あれはお前のせいじゃ。お前さんが中途半端に車の軌道を変えたから、悲劇を招いてしまったのじゃ」
「……ぐっ……!」
「忘れるでないぞ? 魔法で人を傷つけられないというのは、本人が守るルールであって、不可能事項ではないのじゃ。不可抗力であっても、人を傷つけることはできないのではない。やってはいけないだけのじゃ。お前さんの大切な人がこうなってしまったのは、お前さんが油断したせいじゃ」
「……くそっ!」
 かざしていた手のひらを下ろし、僕は彼女を見た。
 魔法で人を傷つけてはいけない。他人を生き返らせてもいけない。
 復讐もできなければ、救うこともできない。万能な魔法を持ちながら、今の僕には、何もできない。
 ーーいや、待て。
 たった今、仙人が言っていたこと。僕も心に刻んでいたはずの、魔法使いのルール。
「なあ……そういえば聞いたことなかったけど、もし僕が魔法の力であいつを殺したり彼女を生き返らせたりしたら、そのときはどうなるんだ?」
「ペナルティが与えられることになっとる」
「ペナルティ……?」
「簡単かつ残酷な言い方をすれば、死をもって償う、ということじゃ」
「死……?」
「万能の力を手に入れるということは、それだけ重い責任がかかるということじゃ。じゃが今みたいにカッとなってうっかりやってしまう場合もあるじゃろう。だからそうならないようにワシがサポートするのじゃ」
 そんな枷を、まだ年端もいかない子どもに持たせたというのか。
 仙人なんかではなく、この人は悪魔だったのか。
 しかし、今はこの人に怒りを向けていても仕方ない。
 冷静になれ。魔法の使い方を間違えたから、こんなことになってしまったんだ。
「……そのペナルティってのは、魔法を使った瞬間にくらうものなのか?」
「そうじゃな。ルールを破るということは、爆弾を起爆するようなもんじゃ」
 ということは、仮に彼女を生き返らせた場合、その瞬間に僕は死ぬわけか。
「……それ、あんたの力で少し変えることはできないのか?」
 僕は仙人を真っ直ぐに見据えた。
「変える、とは?」
「僕がそういう魔法を使った直後、ほんの数分で良いから、死ぬのを先延ばしにすることはできないのか?」
「たった数分延ばしたくらいで、何かが変わるのかね? 彼女を生き返らせた後、最期の別れの一言でも言うつもりか?」
「ああ、まあ……そんなとこだ」
 仙人はしばし熟考しーー
「……良いじゃろう。本来なら許されんことじゃが、お前さんはこの二十年、一度もルールを破ったことはなかった。数分くらいなら、延ばしてやらんこともない」
「……感謝するよ」
「本当に数分だけじゃぞ?」
「ああ、それで構わない」
 仙人は一つうなずき、目の前からすうっと消えた。止まった時間が動き出す。
 僕は再びその場にしゃがみ、彼女の顔にそっと手を添えた。
 生き返りの魔法を発動させる。
 ものの数秒で、彼女がうっすらと目を開けた。
「……あれ? 私……?」
「良かった。目を覚ましたんだね」
「え? あ、そういえば私、車が迫って来て……」
 言葉もはっきりとしている。体力も元に戻っているようだ。
 周囲にいた人たちは、信じられないという顔をしている。奇跡を喜ぶのと同じくらい、この表情も僕は見てきた。
「立てるか?」
「あ、うん。ありがとう」
 僕は先に立ち上がり、彼女の手を引いた。
「それにしても……私、車にぶつかれたような気がしたんだけど、どこも痛くないわ」
「あまりの映像に、そう思い込んでただけじゃないかな?」
 そういうことにしておこう。何とか誤摩化せるだろう。
「それより、ちょっとこっちに来てくれるか?」
「ん?」
 僕は彼女の手を引いたまま、人垣から隠れるように距離を取った。警官も野次馬も、平然とした様子で歩く彼女を不審者を見るような目つきで見ていたけれど、そんなのは気にしていられない。僕にはもう、時間がないから。
 誰の目からも見えない路地裏に入ったところで、僕は足を止めた。
「どうしたの?」
「美奈子。僕は君のことが好きだ。愛してる」
「え? きゅ、急にどうしたのかな……?」
 彼女が照れたようにはにかんだ。
「でも、僕はもう、君とは一緒にいられない」
「……え?」
 瞬時にして笑みが消える。
「ど、どうして?」
「ごめん。それは言えない」
 話すと長くなるから。僕にはそんな時間は残されていない。
「美奈子は、僕のこと好きか?」
「あ……当たり前でしょ! だからそんな、急に一緒にいられないとか言われても……その、困るよ」
「……ありがとう。嬉しいよ」
 僕は彼女を抱き寄せた。
 今の言葉は彼女の本心だと信じたい。
 でも、だからこそ、僕はこうしなくてはならない。僕のことが好きなら、僕が死んだ後の彼女は、相当悲しむだろう。そんな彼女は見たくない。
「これから先もずっと僕は君のことを好きだけど、君は、僕以外の人を見つけて、幸せになってくれ」
「ねぇ……どうしてそんな悲しいこと言うの?」
「じゃあ、さよなら」
 本当にもう時間がないと悟った僕は、一際強く彼女を抱きしめて、一方的に別れの言葉を告げた。

 半年後ーー。
「おーい、美奈子。こっちこっち」
「あ、恵那ちゃん。遅れてごめんねー」
「本当よ。罰として、今日は美奈子のおごりだからね」
「えー? うーん、あまり高くないお店なら……」
「ダーメ。今日はあんたの婚前祝いなんだから、パーッと派手に行くわよ」
「私の婚前祝いなら、むしろ恵那ちゃんがおごってよ……」
「それはそれ。これはこれ」
「むう……」
「それにしても、美奈子もいよいよ結婚かぁ。前に会ったときは、全然そんな素振り見せなかったのに」
「まあ、人生何があるか分からないってことで」
「相手は青年実業家だっけ? 完全に玉の輿じゃん」
「それも、人生どんなご縁があるか分からないってことで」
「つき合ってわずか三ヶ月で結婚にこぎ着けるとは、その実業家くんは、女性に対してもやり手ってことなのかな? それともやり手なのは美奈子の方?」
「やめてよもぉ、そんな言い方」
「あ、そういえばさ、前につき合ってた彼、拓真くんだっけ? どうして彼と別れちゃったの?」
「……拓真くんって誰?」
「は? 何言ってんの。あんたが前につき合ってた彼よ。結構長いこと続いてたじゃん」
「……恵那ちゃんこそ、何言ってるの?」
「あんたそれ、本気?」
「ごめん。言ってることがよく分からないんだけど」
「……ま、いっか」
「へ?」
「やっぱりやーめた。今日はあたしのおごりで飲もう!」
「え? どうしたの急に?」
「いいからいいから。よーし、今日はとことん飲み明かしちゃうよー」
「あ、ちょ、ちょっと、いきなり背中押さないでよ。本当にどうしたのいきなり?」
「さあ、夜の街にレッツラゴー!」
「だ、だから背中をそんなグイグイ押さないでってばぁ!」