僕の一番好きな人。同じクラスの恭子ちゃん。
 その恭子ちゃんが、僕の目の前で死んだ。
 道路の向こうに恭子ちゃんの姿が見えて、僕が手を振ったら恭子ちゃんも手を振ってくれて、恭子ちゃんが横断歩道を渡ろうとしたら、大きいトラックが向こうからすごいスピードで突っ込んで来て――。
 そして今は、ぐったりと横たわっている恭子ちゃんを見下ろすように、一人の男がそばに立っている。
 その男が僕を見た。
「何だ、坊主。お前、俺が見えんのか?」
「う……うん……そりゃ」
 そんなところに立っていたら見えるに決まっている。
「死が近いってわけではないようだが……ああ、そっか」
 男は恭子ちゃんと僕を交互に見て、一つうなずいた。
「このお嬢ちゃんは知り合いか。それも、お前にとって大切な存在のようだな」
「な、何で……」
「分かるのかって? それは俺が見えるからだ。俺たち死神の姿が見えるのは、死期が近い人間か、その人間のことを自分の命よりも大切に想っている奴だけだからな」
「死神……?」
「そう、死神。だから今、お前以外の奴に俺の姿は見えていない」
 確かに、普通の人間とは少し違う。よく見ると背中から変な黒い翼も生えてるし。
「ま、そんなこたぁどうでもいい。俺はお嬢ちゃんの魂を確保しに来ただけだからな」
「魂を……確保?」
「俺たち死神は人の生死を司る。死んだ人間の魂を冥界まで持って行くのも、仕事の一つなのさ。一応、ノルマっつうもんがあるんでな。サボるわけにはいかねえんだよ」
「……生き返らせる方法とか、ないの?」
「ああ?」
「だって今、死神は生死を司るって。死だけを司るんじゃないんだったら、生き返らせることとかも、出来るんじゃないの?」
「へえ……坊主、お前、ガキのわりに頭が良いじゃねえか」
 男――死神は、挑発するような顔で笑った。
「……出来るぜ。生き返らせることも。ま、反則っちゃ反則だがな」
「ど、どうやって!?」
「別に難しいことはねえよ。もう少しすると、このお嬢ちゃんの体から魂が離れる。通常、一度離れちまった魂は自分の力で体に戻ることは出来ねえんだが、俺たち死神は、その魂をもう一度体に戻してやることが出来る。それだけだ」
「じゃ、じゃあ、戻してあげてよ! 恭子ちゃんの魂を!」
 このまま恭子ちゃんがいなくなっちゃうなんて、嫌だ。明日学校に行っても恭子ちゃんに会えないなんて、絶対に嫌だ。明日だけじゃなくて、明後日もその次の日も、そのまた次の日もずっとなんて――。
「ダメだ」
「どうして!?」
「反則だって言ったろ? 本来、それはやっちゃいけねえことになってる。誰がいつ死ぬかってのは、あらかじめ決められててな。さっきも言ったろ? ノルマがあるって」
「じゃあ、どうすれば、その反則技が使えるの? 何か条件があるんでしょ?」
「お前、本当に頭の回る奴だな。本当に小学生か?」
 僕だって正直驚いている。鈍臭くて、学校の成績だって中の下くらいの僕が、こんなわけの分からない状況をあっさりと受け入れて、死神と対等に会話出来るなんて。
「自分の命より大切な人が死んだことで、火事場の馬鹿力みたいなもんが発揮されてんのかもな。まあ、そんなことはどうでもいいが」
 死神がまた笑った。死神というだけあって、その笑い方はどこか怖い。
「条件ってのも、そんなに難しいことじゃねえよ。いつ誰が死ぬかってのは確かに決まっているんだが、俺たちのノルマには、誰の魂を持って行かなきゃいけないという決まりはない。必要なのは数字だけだ。規定の人数の魂を持って行けば、ノルマは達成出来る。俺が何を言いたいのか、分かるか?」
 必要なのは数字だけ。誰の魂をという決まりはない。それはつまり――
「分かってはいるが、口に出すのは怖いって顔だな。それで正解だ。要は、このお嬢ちゃんの代わりに、誰か一人死ねば、俺のノルマ達成には何の影響もない。だから、どうしてもこのお嬢ちゃんを生き返らせたいって言うんなら、お前が誰か一人殺せ。そうすれば、お嬢ちゃんの魂は戻してやる」
「僕が……殺す? 誰かを?」
 口にした途端、言葉の重さに膝が震え始めた。
「誰でも良いってわけじゃないぞ。殺すのは、今月死ぬ予定のない者だ。死ぬ予定の奴を殺してもノルマはクリア出来ねえからな。お前にその気があるんなら、死ぬ予定のない奴くらいは教えてやれるぜ」
 僕が――人を殺す? 恭子ちゃんの為に?
 頭がクラクラして来た。
 死神の言うことは正しい。僕は恭子ちゃんを世界中の誰よりも大切に想っている。もちろん、自分よりも。
 正直、恭子ちゃんが生き返るのなら、何でもする。それくらい、大切に想っている。
 でも、僕に、人が殺せるのだろうか。
「三日だけ待ってやる。三日以内に一人殺せば、このお嬢ちゃんを生き返らせてやろう。それが出来なければお嬢ちゃんの魂は戻らない。まあ、代わりにお前が死ぬでも良いけどな。お前は今月死ぬ予定のない人間だから」
 僕が死ねば、誰も殺さずに、恭子ちゃんを生き返らせることが出来る。
 それも良いかもしれない。でもその場合、どちらにせよ僕はもう、恭子ちゃんと会うことが出来ない。
「俺は一度冥界に戻る。覚悟が出来たらいつでも俺を呼べ。ああ、呼び方は簡単だ。おい死神とでもつぶやけば良い。それだけで俺のところには届く」
 僕の返事も待たず、死神はふっと姿を消してしまった。
 僕は、どうしたらいいんだ――。

 それから僕は、考えに考え続けた。
 自分が死ぬか、人を殺すか。殺すなら、誰を殺すか。
 後にも先にも、僕がこんなに頭をフル回転させることは、これ一度きりだろう。
 覚悟だけなら、あるつもりだ。お前に人が殺せるのかと聞かれたら、迷わず即答出来るくらいには、覚悟出来ている。
 でも、本当にそんな状況になった時、実行出来るのかどうかは、自信がない。
 だから、動けなかった。
 何か抜け道みたいな方法がないかどうかも、一生懸命に考えてみた。いっぱいいっぱい考えた。
 最初に思いついたのは、他の死神に頼むという方法だった。
「おい死神」
「どうした? 殺す奴が決まったか?」
 僕がつぶやくと、本当に死神はすぐに来た。窓が開くこともなく、突然僕の部屋の中に現れた。
「他の死神で、すでにノルマを達成している人はいないの?」
「……なかなか頭を使っているようだな。だが、そいつは無理だ」
 僕が具体的な方法を言う前に、察したらしい死神はそう言った。
「死ぬ予定の人間は決まってるって言ったろ? だから、ノルマという言葉を使っちゃいるが、ノルマイコール上限数なのさ。予定外の死ってのは確かにあるが、そんなに多いわけじゃねえし、俺たちも事前に感知出来るわけじゃねえから、基本的には放ったらかしだ。探すのも面倒だしな。地縛霊とかって言うだろ? 成仏出来ずにこの世に留まってる魂ってのは、だいたいそうやって死んだ奴だ」
 死神が連れて行かないと、あの世には行けないということなのか。
「たまにその面倒事をやる酔狂な死神もいるが、未来に行ったりして、事象の因果ってやつを把握しておかなきゃならねえから、大変なんだ。第一、より多くの魂を持って行ったからって、それでボーナスが出るわけでもねえし」
「そうなんだ……」
「何とか抜け道を探そうとしているようだが、諦めな。お嬢ちゃんを助けたいんなら、さっさと一人殺すことをオススメするぜ」
 それだけ言うと、死神は前回と同じようにふっと消えた。
 ノルマを超えた分のうち、一人分だけ分けてもらうことが出来れば、あの死神もノルマを達成出来て万事解決だと思ったのに――。
 しかしそうなると、本当に僕の手で、誰か一人を死に追いやるという方法以外、打つ手がないということになってしまう。
 それが他人であれ、自分であれ。
 それから僕は、寝ずに考えた。
 でも、上手く考えることができなくなっていた。集中出来ないと言うか、誰を殺せばいいのかを考えているつもりでも、気がつくと抜け道がないのかという方向に考えが行っている。
 平和的な解決を望んでいるわけじゃない。ただ、仮に僕が本当に誰かを殺して恭子ちゃんを生き返らせたとして、僕はその後、恭子ちゃんとどんな顔で接したら良いのか。僕が人殺しだともし恭子ちゃんが知ったら、どんな顔をするだろうか。もう僕とは二度と口も利いてくれないかもしれない。
 段々と覚悟が薄れて行くのが自分でも分かった。
 このままでは、恭子ちゃんは――。

「よう、今日で三日経つぜ。結論は出たか?」
 タイムリミットが近づいて来たからか、僕が呼ばずとも、死神が勝手に現れた。
「誰か殺すのか? お嬢ちゃんのことは諦めたか? それとも、お前が死ぬか?」
 僕は大きく息を吸い、昨日の夜に思いついた方法を死神に話してみることにした。
「……質問があるんだけど」
「何だ?」
「一昨日、予定外の死について話してた時に、言ってたよね? 予定外に死んだ人の魂を探すには、未来に行ったりするって。何とかってやつを把握する為に」
「ああ、事象の因果か。それがどうした?」
「と言うことは、死神って、未来と今を行ったり来たり出来るってこと……だよね?」
「過去にも行けるぞ。疲れるからめったにやらねえがな」
「じゃあさ……未来で死んだ人の魂を、持って帰って来ることって、出来るの?」
「……あ?」
 死神がぽかんと口を開ける。
「坊主。お前、今なんつった?」
「例えば、僕が死んだ直後の未来に行って、そこで僕の魂を持ち帰って来る。そしてその魂を冥界に持って行く……みたいなことは、出来るの?」
 死神は、しばらく何も言わなかった。いつものように笑うこともなく、じっと僕の方を見ていた。僕も死神から目を逸らすことなく、何かしらの反応が返って来るまでずっと死神を見つめていた。
 一分くらいして、死神が笑った。
 いつもとは違い、大きな声を上げて。
「はーっはっは! 何てことを思いつきやがるんだこの坊主は! 随分と小賢しいガキだと思っていたが、これほどとはな! 未来の魂を持って帰るだと? 今ではなく、未来の自分の魂を? くっくっく……俺も長いこと死神をやってるが、そんな発想をした奴は冥界でも人間界でも初めてだぜ。くくく……坊主、お前最高だよ」
 死神は笑い続けた。初めて、心底楽しそうに笑っていた。でも、こっちの笑いの方が僕には恐怖だった。そのまま勢いで僕の魂を取ってしまうんじゃないかと思うくらいに。
 散々笑い転げた後、死神はいつもの不敵な笑みに戻った。
「はっきり言おう。お前の案が可能かどうかは、俺には分からねえ。何せ前例がないからな。出来るのかもしれないし、出来ないのかもしれない」
 出来るのかもしれないという言葉に僕はちょっとだけ期待が膨らんだが、それ以上に出来ないかもしれないという言葉で膨らんだ落胆の気持ちの方が大きかった。
 未来に行くのは大変だと、死神は言っていた。ならば、出来るかどうかも分からないことを、わざわざやってみようとは思わないだろう。
 そう思っていたけど、意外にも死神は、予定外の言葉を口にした。
「……良いだろう」
「え?」
「乗ってやろうじゃねえか。坊主の案に」
「ほ……本当に!?」
「ああ。未来の魂を持って来るなんて、考えもしなかったぜ。確かに俺たち死神は、基本的に面倒なことは嫌いだが、退屈ってやつもあまり好きじゃねえんだ。いいかげん、この魂を持って帰るだけの単純作業にも飽き飽きしてたとこだ。ここらでいっちょ、常識破りな行動をするのも良い。未来の魂を持って帰って来るなんて、もしそれが可能ならどんな影響が出るか分かったもんじゃねえが、逆にそれが面白そうだ」
 ――そうか。
 死神からすれば、人間界がどうなろうと、知ったことではないのかもしれない。だから僕の提案も、突拍子もない方法と思いながらも、やってみる気になったのだろう。
 もしかしたら、すごく危ないことを、僕は言ってしまったのかもしれない。
 でも、もう一度恭子ちゃんと会えるなら、僕は――。
「じゃ、早速行って来るぜ。上手く行けば、明日からまた、お嬢ちゃんと一緒に学校に通えるだろう」
「あの……ありがとう」
「人間が死神にお礼を言うか……くっくっく、そんな経験も初めてだな。礼には及ばねえよ。坊主みたいな面白い人間が見れて、俺は今、最高に気分が良いからな。それだけで十分だぜ」
 死神が、僕の頭に手を乗せた。幽霊みたいに触れない存在なのかと思っていたけど、そんなこともなかったらしい。と言うか、思ったより温かい手で、ちょっと驚いた。何だかお父さんに撫でられているような、そんな気持ちになる。
「坊主とはもう会うことはねえが、精々、人生を楽しみな。坊主なら、面白い人生を謳歌出来るぜ」
「……うん」
「じゃあな」
 言うが早いが、死神はいつものように消え去った。

「健一くん、おはよう」
「おはよう、恭子ちゃん。体調は大丈夫?」
「うん、元気だよ。って言うか、わたし、何で三日間も寝込んでたのか、よく覚えてないだよね。お母さんとかは、わたしが起きた時ものすごく泣いてたんだけど、でも何で泣いてるのって訊いたら、分からないって言うの。変だよね」
 死神の言う通り、次の日、僕はまた、恭子ちゃんと一緒に学校に通うことが出来た。
 どんな結果になったかは分からないけど、死神は成功したようだ。
 改めて僕は、心の中で死神に、ありがとうとつぶやいた。今頃、冥界とか言うところであの死神は、礼には及ばねえよとか思っているのかもしれない。
「何かよく思い出せないんだよね。寝込んでいる間もそうだし、寝込む前のこともそうだし。怖い夢を見ていたような気もするんだけど……」
 これも何がどうなったのかは分からないけど、恭子ちゃんの身に何があったのかを覚えているのは、僕だけらしい。でも恭子ちゃんのお母さんが泣いていたという事実からも分かるように、みんな、ぼんやりとは何かが記憶の片隅に残っているらしい。
 まあでも――
「思い出さなくて良いんじゃないかな。怖い夢だったら」
「うん……そうだよね!」
 恭子ちゃんが笑った。死神とは違う、ヒマワリのように明るくて素敵な笑顔。
「ありがとね、健一くん」
「え? 何が?」
「分かんない。分かんないんだけど、何だかお礼を言いたいの」
「そっか。じゃあ僕もよく分かんないけど、礼には及ばないよ」
 この笑顔がまた見れて、僕は今、最高に気分が良いから。
 それだけで、十分だ。