その悪魔は現れるなり、どんな願いを一つでも叶えてやる、と月並みなことを言った。
 だからこちらも、月並みな質問をした。
「本当にどんな願いでも良いのか? 願いごとの数を十個に増やしてほしいとか、そんなのでも良いのか?」
 すると当然のように、それはダメだという答えが返って来た。
 やはりダメなのか。話にはよく聞くけれど、実際に悪魔と遭遇したらそういう願いも叶えてくれるんじゃないかと期待していたのだが。
 僕は考えた。願いの数を直接的に増やすのはダメでも、それに近い願いを叶えてもらうことはできないものか。
 考えた末に、一つのアイデアが浮かんだ。
「じゃあ、こんなのはどうだ? この先僕が死ぬまでの間、僕がこうなると念じたことが全て実現できる力をくれ」
 悪魔は少し考えてから、実現可能な範囲でなら問題ないと答えた。
「実現可能な範囲とは?」
「物理的、常識的に考えて可能な範囲という意味だ。例えば地球の裏側に瞬間移動するとか、そういうのは無理だ」
「今すぐに一億円手に入れるとかは?」
「それは物理的に不可能ではないだろう」
 そういうことなら十分だ。瞬間移動とか透明人間になるとか空を飛ぶとか、そんなものを念じるつもりはない。
 それにしてもこの悪魔は、あまり頭が良くないのかもしれない。念じたことが全て思い通りになるということは、実質願いを何度でも叶えられることと同義なのだが、気づいていないのか。こういう法の抜け穴的なものは、案外どの世界にも存在するのかもしれない。
 僕は早速、その願いを叶えてもらうことにした。
 悪魔が何かを唱え、良いぞと一言残して去って行った。何も変わった様子はないが、これで僕の念じたことは全て実現できるようになったのか。
 とりあえず、試してみるか。
 何を念じてみようか。
「そうだな……じゃあ……」
 さっき悪魔にも言った、一億円を今すぐに手に入れられるよう、念じてみよう。
 やり方はよく分からなかったが、たぶん頭の中で念じればそれで良いのだろう。それで何らかの形で一億円を手に入れることになるはずだ。
 念じ終わっても周りに変化はなかった。まあ、いきなり空から降って来るようなのは実現不可能な方なのだろう。
 僕は家の外に出た。
 家を出てすぐ、道路に黒いケースが落ちているのを発見した。
 迷わずケースを拾い、中を確かめてみる。
「なるほど……こういう形か」
 中身は紛れもなく一億円だった。
 僕はケースを抱えて家に戻った。
 便利な力を手に入れたものだ。この先困ったことがあれば、この力で何でも解決できる。望むものは物であれ肩書きであれ、何でも手に入ると思って良いだろう。アメリカの次期大統領になるとかは無理だろうが、もう少し身近なところならどうとでもなるに違いない。
 次はどんなことを念じようか。
 金はもう良いだろう。いつでも好きなときに大金が手に入ることは分かった。この一億円を使い切ったらまた念じれば良い。
 そんなことを思いながら札束をもてあそんでいると、急に外が騒がしくなった。ほどなくして、数人の男が家になだれ込んで来た。
「おい、見つけたぞ!」
 知らない連中だ。
「てめえか。うちの金を持ち逃げしたのは」
「……は?」
「とぼけても無駄だぞ。それが何よりの証拠だ」
 どうやらこの一億円のことを言っているらしい。
「これはすぐそこで拾ったんだ」
「見え透いた嘘をつくんじゃねえ! その金は返してもらうぞ」
 男たちが銃を構えた。銃口が一つ残らず僕に向いている。
 これはどういう状況だ。いや、状況は何となく分かっている。僕が拾ったこの一億円は、誰かがこの男たちのところから持ち去ったものらしい。そして僕は今、濡れ衣を着せられてその何者かの身代わりになっている。
 銃は本物だろう。普通ならこの一億円を一円も使うことなくあの世行きだが、今の僕には何でも実現できる例の力がある。慌てることはない。
 この状況を切り抜けられるよう念じれば良いのだ。彼らの魔の手から逃げるという願いは、物理的に不可能なものではないはずだ。
 僕は早速頭の中で念じた。
 しかし――
「金を盗む相手は選ぶべきだったな」
 そんな言葉が聞こえた次の瞬間には、数発の弾丸が僕の体を貫いていた。
 なぜだ。どうして念じたのに僕は撃たれたんだ?
 意識が遠のいて行く。さすがにこの状況で助かるとは思えなかった。
 僕は死ぬのだ。一瞬前までは死にたくないと思っていたが、もう助からないと分かると、意外にすんなりと死を受け入れることができるらしい。
 異常なほど頭が冷静だったおかげか、僕はどうして助からなかったのかも、何となく察することができた。
 やはり、どんな形の願いであれ、何度でも願いを叶えることは不可能だったのだ。悪魔はそれを分かっていた。だから僕のこの願いを叶えてくれたのだ。
 死ぬまで念じたことが全て実現できる。でも願いは一度しか叶えることができない。だから、僕は死ぬまでに一度しか願いを叶えることができない。二度目を叶えようとすると、その前に死が訪れる。そんな仕組みになっていたのだろう。
 常識的に可能な範囲というのを、もっと深く考えるべきだった。願いは一度だけというのも、その範囲に含まれていたに違いない。
 どうやら頭が良くなかったのは、僕の方だったみたいだ。

「お前が先日願いを叶えてやった奴、もう死んだのか? うらやましいな、こんなに早く魂を手に入れられるとは」
「ええまあ。嬉しい誤算とでも言いましょうか」
「撃たれて死んだのだろう? 何で撃たれないようにとか願わなかったのだろうな。念じれば何でも実現できる力を与えたのに」
「撃たれる直前にあの男が念じたのは、彼らの魔の手から逃げる、というものでした。あの状況で彼らから逃げられる最も有効な手段は、死んだと思われることでしょう。つまり、撃たれはするが一命は取り留める。しかし男を撃った連中は男が死んだと思い、金を持ってその場を離れる。始末した思っている以上、再び男のところにやって来ることはなかったのです。それで逃げられたことになる。怪我はするものの、本来ならあの男は助かるはずだったのです」
「ではなぜ死んだのだ?」
「あの男が、撃たれた直後にそれを念じたからです。自分は死ぬ……と」
「なるほど。自分で死を受け入れてしまったゆえに、それが実現してしまったのか」
「男は、その事実に気づいていなかったようですがね。願いは一つしか叶えられなかったからこんなことになったと思っていたようですから」
「なかなか面白い願いを要求した奴だから、もう少し頭の切れる男だと思ったのだがな。この先どんな風に力を使うのか、もっと見てみたかったが……まあいい。お前は早くあの男の魂を持って上に報告に行け」
「はっ。では私はこれにて」