Prologue

「誰とも関わらないで生きて行くことは、そんなに簡単なことではありませんよ」
 そんなことは分かっている。人は一人で生きて行くことなんてできない。目に見えるところでも、見えないところでも、人は誰もが多くの他人に助けられて生きている。
 そんなこと、改めて言われなくたって百も承知だ。
 だからこそ、迷っている。
 どちらを選択するのが正しいのか――。
「多くの不幸に見舞われても、大勢の人の助けがあれば、乗り越えられるかもしれません。もちろん、百パーセントの保証はないですが」
「分かってるよ。少し黙ってろ」
 そもそも、何で俺は今、こんな選択を迫られているのだろう。
 改めて思い返してみても、意味は全く分からない。
 いや、意味などないのだ。
 今俺の目の前にいるこいつは、確固たる理由があって俺にこんな選択を迫って来たわけではない。王様ゲームで二番が五番に適当な罰ゲームを与えろと言われたから二番のこいつが五番の俺のところにやって来た、みたいな感じだ。自分でも喩えの意味が全く分からないが、それだけ混乱しているということだろう。
 こいつはいきなり俺の目の前に現れて、何の前置きもなく、こんなことを言って来た。
「どちらか好きな未来を選んでください。不幸なことが一切起こらない代わりに孤独になるか、不幸なことしか起こらない代わりに大勢の人間に囲まれるか」
「……は? 何だって?」
「どちらか好きな未来を選んでください。不幸なことが一切起こらない代わりに孤独になるか、不幸なことしか起こらない代わりに大勢の人間に囲まれるか」
「いや、何を言ってるのかは聞こえたよ。意味が分かんなかっただけで」
 いきなり見ず知らずの人間にこんなことを言うやつは間違いなく頭がおかしいと思った俺の頭は正常だと思うのだが、どうだろう。
 当然、お前は何者だってことも、何で急にそんな選択を迫って来たのかも、しつこいくらいに聞いた。しかし何度聞いても理解はできない。
 理解ができない以上、適当にあしらうのが正解だ。だから俺は、こいつの話に適当につき合い、適当なところでこの場を離れようと思っているのだが――
 いかんせん、こいつはうるさい。人が答えようと思っているのに、ああだこうだとそれっぽい御託を並べ立てて来る。おかげで少し真面目に考えてしまった。
 でも、もう限界だ。つき合いきれない。どっちを選ぼうが変わりゃしないんだから。
「とにかく、答えれば良いんだろ? だったら――」


Side:A

 まさか現実になるとは。こんなことなら適当に答えなきゃ良かった。
「じゃ、不幸が起こらないけど孤独な方で」
 そう言った次の瞬間、俺は誰もいない無人の場所に強制的に移動させられた。
 いや、違う。そうじゃない。俺の周りから全ての人間が消えた、が正しい。何せ周りの景色は、一瞬前のままなのだから。ただ人の姿だけが、なくなっていた。
 あいつの姿もない。俺をこんな状況に追いやったあいつの姿すらも。
「どうすりゃ良いんだよこれから。誰かに会える可能性を求めて、探し回ってみるか?」
 無駄な努力って気もするが、しかし一瞬で世界中の人間が消えるってのも、十分に非現実的なできごとだ。この状況がただの幻覚ってのが、俺の中では一番受け入れられるのだが、それもまた現実味が薄い。
 俺は、人を探して方々を歩き回った。歩き回りながらケータイで友人に番号にかけてみたが、誰一人つながらない。知らない番号に適当にかけてみても結果は同じ。呼び出し音は鳴るが、誰も電話に出ない。
 交通機関も完全にストップしている。車はそこら中にあるのに、誰も乗っていない。電車も動いていない。車両はあるのに誰も乗っていない。きっと空港に行けば無人の飛行機があるのだろう。港に行けば無人の船が――。
 どこまで行っても誰もいない。歩くのに疲れたから、そこらにある車を拝借して、自宅の近所から見知らぬ土地まで走り回ったけれど、人っ子一人見つけられない。
 それはそれで困った話だが、しかし一番の問題は、人が見つからないことじゃない。
 一番の問題は、誰も見つからなくても、何も困ることがないことだ。
 人はいなくても、スーパーやコンビニはある。つまり食料に困らない。金を払う必要なんてないから、無限に食べ物は手に入るのだ。
 娯楽用品だって腐るほどある。買うのをためらっていたゲームソフトも好きなだけ手に入るし、ダーツやビリヤードもやりたい放題だ。バーに行って好きなだけ酒を飲むこともできる。そのまま飲酒運転しても誰も何も言わないし、人をはねる心配もない。
 そう。人がいないと、不幸なことが起こりようがないのだ。事故に巻き込まれることもないし、通り魔に襲われることもない。間違い電話がかかって来ることもないし、詐欺の被害にだって遭わない。
 独りの世界になってから数年経った。正直、すっかりこの生活にも慣れてしまった。話し相手がいないことも、女がいないことも、今では何とも思わない。
 相変わらず不幸は一切起こらない。不自由もない。大きな不満もない。
 果たしてこの状況が幸せと言えるのか。
 それは俺にも分からない。


Side:B

 まさか現実になるとは。こんなことなら適当に答えなきゃ良かった。
「じゃ、不幸だけど大勢の人間がいる方で」
 そう言った次の瞬間、俺はいきなり不幸に見舞われた。居眠り運転でもしていたのか、大型のトラックが猛スピードで突っ込んで来たのだ。間一髪で何とか避けることができたが、あと一秒、いや、コンマ五秒反応が遅れていたら、死んでいたかもしれない。
「おい、大丈夫か? 怪我はないか?」
 俺が尻餅をついていると、周りにいた人たちが声をかけてくれた。誰も彼も知らない人ばかりだが、まるで昔からの友人のように、たくさん心配してくれた。
 実際怪我はなかったので、俺は大丈夫ということを告げて、その場を離れた。
 その日から俺は、あいつの選択に従った通り、やたらと不幸に襲われた。仕事ではしなくても良いミスを連発するし、道を歩けば車が突っ込んで来るし、外食すれば食中毒に遭うし、欲しいものはやたらと品切れ。家にいるとしょっちゅう怪しいセールスがやって来て高額商品を買わそうとするし、間違い電話がかかって来る回数と通り魔に襲われる回数を足したら、トイレに行く回数よりも多い。
 確かに不幸の連発だ。安売りもいいとこ。そのせいで、頑張って貯めていた貯金もほとんど吐き出す羽目になってしまった。
 だが不思議と、周りの人の助けもあるおかげで、どん底の一歩手前くらいの状態で済んでいるのも事実だった。
 仕事のミスが増えたことで、上司には毎日のように怒られるようになった。上司からはだいぶ嫌われてると思うのだが、反対に同僚たちは優しい。ミスをしたことを話し、挽回したいから助けてくれと頼むと、みんな快く手を貸してくれる。だから何とか、致命傷にならずに済んでいる。
 食中毒に遭うときもそうだ。気分が悪いことを訴えると、周りの人がすぐに状況を把握して、救急車を呼んでくれたり、直接病院まで運んでくれたりする。通り魔に襲われるときだって、そこらの民家に助けを求めると、誰もが救いの手を差し伸べてくれる。
 とにかく、全てにおいてそんな感じだった。今までも多くの人に助けられて生きて来たとは思っているが、今はそれが、より強烈に痛感できる。
 不幸体質になってから数年経った。正直、すっかりこの生活にも慣れてしまった。ちょっとやそっとの災難が降って来ても、今では何とも思わない。
 相変わらず不幸は連続して訪れる。だが一人で何とかしようと思わず、素直に助けを求めれば、いくらでも助けは得られる。大勢の人間が、力を貸してくれる。
 果たしてこの状況が真に不幸と言えるのか。
 それは俺にも分からない。