俺がよく飲みに来ているこの飲み屋。たいていは仕事の疲れを酒で癒そうとする者たちの、日頃溜まった愚痴で賑わっている。
 だが、今日は違った。今日の賑わいは、愚痴大会のそれではない。
 一人の男の乱入によって、いつもの賑わいは影を潜めていた。代わりに、その男を称賛する歓声で店内が溢れ返っている。
 そいつは店に入って来るなり、自分のことを超能力者だと言った。今から披露してやるからよく見てろ――と。
 入って来るなりそんなことを言われたって、普通は胡散臭いと思うのが関の山だ。だがここにいる連中は、すでに酒の力ででき上がっていた。ノリが軽くなっていたのだ。だからそいつの言葉に反論することもなく、やれやれと煽り立てた。
 男は最初に、トランプを使って予言を行った。まずは客の一人に適当にカードを選ばせる。すると男はポケットから一枚の紙を取り出し、自分はあらかじめそのカードを選ぶことを予言していたと言いながら紙を広げてみせる。そこには、選ばれたカードの絵柄と数字が書いてある。
 それを見て、店中の客が沸いた。正直、全員がサクラなんじゃないかと思うくらい、露骨に男の予言を絶賛した。
 ただ一人、俺を除いて。
 すぐに分かった。あんなのは予言でも超能力でも何でもない。あらかじめ、全てのトランプを別の紙に書いて用意しておけば良いだけだ。スペードのエースならズボンのポケット、ハートのクイーンならシャツの胸ポケット、といった具合に。俺でもできる、チャチなお遊びだ。
 それからも男は、超能力と言いながら安っぽいマジックを披露した。どれもタネが幼稚で、一目見ればどんな仕掛けかすぐに分かった。
 一通りのマジックを見せた男は、今度は絶対に当たる占いを見せると言い出した。超能力を使うことで、統計を超越した完璧な占いができるのだと。
 男は、適当に目をつけた客に対し、仕事で悩みを抱えているだろうと指摘した。ズバリ言い当てられた客は、これまた目を輝かせて男の話を聞き、今後の身の振り方などを相談していた。
 これもインチキだ。ここに来ている客の大半は、仕事で何かしら悩んでいる。その悩みを酒で誤魔化すために飲みに来ているのだから、何か仕事で悩みを抱えているだろうと指摘すれば、当たるに決まっているのだ。相変わらず安っぽいやり方だ。
 だが、あえてインチキだと咎める必要はないだろう。占いとしてはどうかと思うが、カウンセリングとして見るならば、男の回答は悪いものではなかった。インチキと分かっていても素直に受け取って良いんじゃないかと思うくらいには、温かみのある言葉を吐いていた。
 そうこうしているうちに、男は俺の前にやって来た。
「……あんたもどうやら、仕事で悩みを抱えているみたいだな」
 俺だって飲みに来ている理由は、他の連中と同じ。そう言われれば、こう答えるしかない。
「まあね」
「どうだい? あんたも今までのように、俺に悩みを打ち明けてみないか? 力になるぜ」
「別に。たいした悩みじゃないから、酒を飲んで寝れば解決するよ」
「そう言わずに。聞いて損はないと思うけどな」
 断ればすぐに次の客に行くかと思ったが――そんな風に食い下がられると、インチキだとストレートに告発はしなくとも、それ相応の受け答えになるぜ。
「じゃあ、解決法だけ教えてくれれば良いよ。あんたはその超能力で、俺がどんな悩みを抱えているか、具体的に分かってるんだろ?」
「まあ、そうだけどさ。でも俺は分かってても、ここにいるみんなはあんたがどんな悩みを抱えているか知らないんだ。みんなに教える意味も含めて、話してみちゃくれないか?」
「それならあんたが教えてやれば良い。別に俺は、それでも構わないよ」
 その後も問答は続いた。今までの客はみんな、結局は自分から悩みを打ち明けるように誘導できていたから上手く行っていたが、俺はあくまでも、知っているなら無理に聞き出そうとするなと言い張った。
 最終的に折れたのは、男の方だった。
「分かった分かった。そこまで言うなら仕方ない。解決法だけ教えてやろう」
 男はしばらく俺の顔をじっと見つめた。
「場所が悪いね。今の仕事に満足してないなら、場所を変えた方が良い」
 面白くない回答だ。これくらいのことなら俺にだって言える。今の立地が悪い、環境が変われば状況は好転する、どんな悩みに対しても、その答えは大きく的を外すことはない。現状に不満があるなら、どんな形であれ、環境を変えれば気分が回復する可能性は高いし、ある意味、誰にでも使える回答というわけだ。
 このワイルドカードのポイントは、相談者を激しく中傷するような内容でもないという点だ。だからこそ、こちらとしても、何だよそのつまんない回答は、みたいな悪態をつきにくい。
 そんなわけで、一応の感謝でも述べようと俺は小さく息を吸った。
 ところが――
「差し当たって、明日は二丁目の商店街、その隅にある食堂の前でやってみたら良い。あの店は明日は定休日だ。シャッターは下りてるはずだから、怒られることはないだろう。そうすれば、普段の十倍は稼げるよ」
「……ほお」
 これは驚いた。こんな具体的なことを言うとは思っていなかった。
 俺はこいつに悩みを打ち明けていない。だから自然と、回答は抽象的にせざるを得ないはずで、ここまでピンポイントなことを言ってくるとは、全く予想していなかった。
 そもそも、俺がどんな商売をしてるかも知らないのに、ここまで断言できるとは。問答の中で、それとなく俺の悩みや仕事について当たりをつけたのだろうか。だとしたら、推理力や洞察力だけは本物だ。
 男に対する評価が少し変わった。わりと面白い奴だ。ちょっと気に入った。それなら一つ、この男の言う通りにしてみても良いだろう。どうせ当たらなくたって、困りはしないのだから。
「……ありがとう。明日、やってみるよ」
 商店街の隅――その隅にある食堂か。

 宣託に従って、次の日俺は、商店街にやって来た。
 男の言うことは確かだった。食堂は定休日で、シャッターが下りていた。と言うか、今日は他の店も定休日が多い。商店街全体が閑散としていて、人の往来もまばらだ。
 まあ、気にすることはない。俺の周りで閑古鳥が鳴くのは、よくあることだ。
 俺は簡易式の机と椅子を設置し、水晶玉を机の上に載せて、いつものように商売を始めた。
 するとどうだろう。
 開始五分と経たずに一人目の客が来た。
「仕事運について占って欲しいんですが」
「良いですよ。お掛けください」
 その後も客足は途絶えなかった。いつもなら、一日中座っていたってせいぜい数人しか訪れないのに、今日は初めて二時間も経たない内に、十人もの客がやって来た。
 人通りの多くない状況でこの成果は正直驚きだ。
 あの男の言う通り、このままいけば、普段の十倍稼ぐこともできるだろう。
 もしかしてあの男、本物だったのか?
 いやいや、だとしたら昨日のあの茶番は何だ。あんな、ちょっと知識のある人間なら誰でも見抜けそうなマジックと良い、さも最初から分かってたように相手を誘導した占いと良い、俺ですらやらないぞ、あんな低レベルなことは。
 でも――もしかしたら、本当の本物っていうのは、ああいうものなのかもしれない。
 案外、今の俺の方が、低レベルなのだろうか。形から入るために水晶玉まで用意して、いかにもな雰囲気を出している方が、本物の連中からすると胡散臭いのだろうか。
 しかしそうなると、あの男は、俺が抱えている悩みも、正確に把握していたことになる。
 この結末が、その悩みの解決につながるのだろうか。
 そんなことを思っていると、道路を挟んだ向こうに、見覚えのある顔がこっちを見ていた。
 昨日の男だ。じっと佇んで薄く笑っている。繁盛している様子を喜んでくれているのか、それとも俺を嘲笑しているのか。あの笑みからは、どちらとも読みきれない。
 こちらに近寄って来ることなく、男は最後まで笑みを崩さずに去って行った。
 その後、男に会うことは二度となかった。またあの飲み屋で会えたら話をしてみたいと思っていたが、いつまで経っても男は現れず、町中でも見かけることはなかった。
 きっと流れ者なんだろう。今頃は別の土地にいるに違いない。そこでまたあの夜のように、安っぽい本物の超能力で客の心を掴んでいるに違いない。
 でも、よく分かった。身に沁みたと言った方が正しいか。
 程なくして、俺は占いを廃業した。
 結果的に俺は、あの男のおかげで悩みを解決できたというわけだ。