今日は仕事が休みで、天気も良かったから散歩に出かけたんだ。公園の芝生で、猫が気持ち良さそうに昼寝をしていたよ――。
 僕は手紙を折りたたんで、封筒に入れた。
 彼女と別れてから、もう五年ほど経つけれど、毎週末、彼女に宛てた手紙を書くというこの作業を、一度たりとも休んだことはない。
 残念ながら、彼女から返事をもらえたことは一度もないけれど、でも構わない。彼女に相手してほしいから手紙を書いているわけではないから。ましてや、彼女と縁りを戻そうと思っているわけでもない。ただ単純に、今の僕の心境とか、日々の出来事を知ってもらいたいだけだ。
 第一、今の僕には、つき合っている人がいる。やましいことをしているつもりはないのだが、何となく前の彼女に手紙を送っているという行為に若干の罪悪感のようなものを感じている。だから今の彼女には、こうして僕が毎週手紙を書いていることは話していない。
 未練がある、とは言わない。でもきっと、別れた今でも僕は、彼女のことをとても大事に思っている。それが罪悪感につながっているのかもしれない。
 いけないことだろうか。今は他に彼女がいるのに、前の彼女に気持ちが向いているというのは。
 前の彼女とどうして別れたのか、実はよく覚えていない。思い出せない、が正しいか。とにかく、彼女と作ってきたたくさんの楽しい思い出は今でも昨日のことのように思い出せるのに、なぜか別れたときのことだけが、ぽっかりと空いてしまっている。
 僕から別れを告げたのか。彼女の方から別れを告げたのか。それも思い出せない。
 全く、思い出せない。
 分かっていることは、僕はまだ、彼女のことが好きだということだけ。
 だから、手紙を書くんだ。

 ある日の週末、いつもと同じように僕は彼女宛てに手紙を書いていた。内容もいつも通り、他愛のない世間話だ。
 もうすぐで書き終わるというところで、今の彼女がいきなり部屋に入って来た。
 おかしい。彼女は買い物に出かけたはずなのに。ここは近所にスーパーなどの店がないから、ちょっとした買い物でも結構時間がかかる。それが分かっているから、僕は彼女が買い物に行っている時間を利用して手紙を書いている。
 今まで一度だって、こんなことはなかったのに。
 彼女はこちらに近づき、机の上にある便箋を取り上げた。
「まだ……こんなことをしているの?」
「……まだ?」
 まだって、何だ。
「こんなことをしたって何にもならないって言ったの、忘れてしまったの?」
「なん……だって?」
 彼女の言葉の意味が理解できなかった。
「あなた、この手紙がちゃんと彼女の元に届いてるって、今でも思ってるの?」
「あ……当たり前じゃないか」
「いい加減に目を覚ましなさい!」
 彼女がすごい剣幕で睨んでいる。
「い、いや……確かにその……君に隠れてこそこそとこんな真似をしてたことは謝るよ。でも……」
「そういうことを言ってるんじゃないわ。私が言っているのは、現実から目を逸らすのはもう止めなさいってこと。もう、あれから五年も経ったのよ?」
「何を、言ってるんだ?」
「自分の記憶を偽るのは止めなさいって言ってるの。あなたがどれだけ現実逃避しようと、彼女はもう、この世にはいないんだから」
「……え……?」
「彼女は亡くなったのよ。五年前の、あの日に」

 ――そうだった。
 彼女は、死んだんだ。
 僕の目の前で。
 聞いたこともない難しい病気で、いわゆる不治の病だった。
 律儀に、医者から宣告された余命きっちりに、彼女は静かに息を引き取った。
 その日が来ることは分かっていたけれど、僕はそれを受け入れられなかった。
 だから記憶を封じ込めた。都合の悪い部分だけ箱にしまって。
 きっと、前にも一度、今の彼女にそのことを注意されたんだと思う。それについては本当に思い出せないけど、少なくとも彼女は、僕が手紙を書いていることを知っていた。それに見合う出来事が、何かしらあったはずなんだ。
 そのときは多分、気持ちの整理が全然できなかったのだろう。
 だから止めなかった。彼女の忠告を受け入れなかった。
 でも――彼女の言う通りだ。
 いつまでもこのままではいけない。
 僕は生きているのだから。彼女の分まで生きると、約束したのだから。
「……分かった」
 僕は目の前にいる彼女に言った。
「手紙を書くのは、これで最後にするよ」
「……そう」
 彼女はそれ以上は何も言わず、部屋から出て行った。
 僕は新しい便箋を取り出し、ペンを走らせた。

 ――今までありがとう。そして、さようなら。