彼は臆病だった。
 相手の意見に流されやすく、自分の意見を強く主張できない。頼み事や面倒事を押しつけられやすく、押しつけられると断れない。気が弱く、腕っ節も弱いから、反抗して暴力を振られたらと思うと、どうしてもノーと言えない。
 もちろん、そんな自分を良しとしていたわけではない。心の片隅ではずっと、そんな自分を変えたいとずっと思っていた。しかし臆病であるがゆえに、自分を変えることにも大きな不安を感じ、なかなかそれを実行に移すことができなかった。
 そんな彼に転機が訪れたのは、高校デビューの時。
 周りに昔の自分を知っている人間が少ないという状況は、人を変えやすい。特に、自分に大きな不満を持っている人は、こんな状況に置かれると百八十度変わってしまうこともある。
 彼も例外ではなかった。
 それまでの臆病な自分を隠すように、彼は自分を変えようと考え、またそれを実行に移すことができた。それ自体は、褒められたことかもしれない。
 ただ彼は、その方向を間違えた。
 臆病な性格。人に何か言われると反論や拒否ができない。それを変えるために彼は、それとは対極の位置に自分を置いてしまったのだ。
 彼は、押しつけられる側から押しつける側へと、自分を移行させた。
 強気な態度。命令に近い頼み事。拒否する者、反抗する者には暴力を振るうこともあった。
 誰に対しても、というわけではない。彼はかつての自分と同じように、臆病で弱い人間をターゲットに、新しい自分をさらけ出していた。自分がそうであったためか、彼にはどういう人間が臆病で弱いか、それを巧妙に嗅ぎ分けることができたのだ。
 自分よりも弱い人間を見つけて、傍若無人に振る舞う。自分より強い人間とはなるべく距離を取って関わらない。傍若無人な振る舞いが功を奏したのか、本来ならば自分に面倒を押しつけてくる側のはずの輩も、それ自体を面倒と感じたのか、積極的に近寄って来ることはなかった。
 以前の彼を知る者は、彼がどうしてそんな変貌してしまったのか、何となく察してはいた。だからそれとなく、彼を諌めたりもしてみたのだが、もはや彼は聞く耳を持たなかった。

 彼の間違いは、大きく分けて二つ。
 臆病な性格を隠すために傍若無人に振る舞うようになってしまったことと、その対象を弱い者にだけ向けてしまったことだ。
 最初は臆病な自分を知られないためだけに振る舞っていたのが、段々とそれがエスカレートして行き、気がつけば、相手が弱いと見るや内弁慶のように急に強気な態度に出て、言うことを聞かなければ迷わず手を上げる。いつの間にか、彼はそんな人間になっていた。
 結果、彼は小さな少女を傷つけてしまった。
 きっかけは些細なことだった。ちょっと言うことを聞かなかったとか、幼い子にはありがちな態度を取られただけだった。でも彼は、そのささやかな反抗を力で押さえつけた。
 元々、乱暴で取っつきにくい奴ということで周りからは嫌われ始めていた彼だったが、この一件でその溝は決定的となった。昔の彼を知り、事情を察していた者たちでさえ、彼を非難せずにはいられなかった。
 彼は孤独になった。頼み事や面倒事を押しつけられることもなく、押しつけることもない。どちらの対象も、自分の周りから一切いなくなってしまったのだ。
 ここに来てようやく彼は、自分の間違いに気がついた。そして後悔した。自分を変えたかっただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのだ――と。
 これからどうしたら良いのか、どうすべきなのか、彼には分からなかった。素直に謝ったところで許してもらえるのか、そもそも謝る機会を与えてくれるのか。本来の臆病な性格が、彼をいかなる方向にも歩を進ませようとしなかった。
 結悩みに悩み、苦しみに苦しんだ末、彼は逃げてしまった。
 謝ることもなく、言い訳することもなく、誰にも何も言わず、自分を知る人間が誰もいないところへ、彼は逃げた。それ自体は、褒められたことではないかもしれない。
 ただ彼は、完全に方向を間違えたわけではなかった。
 彼は彼なりに考え、もう一度、自分を変えることにしたのだ。臆病だった自分も傍若無人だった自分も知る人がいない状況で、自分を変えやすい状況でもう一度、今度は間違えずに、新しい自分を作る。そのために、彼は逃げを選んだのだ。

 新しい土地での新しい生活。
 そこで彼は、押しつける側でもなく、押しつけられる側でもなかった。しかしそれは孤独ゆえではなく、生来の弱気な性格と曲がったやり方なりに身に着けた強気な性格を足して二で割ることで得られた、温厚ながらも芯のある、第三の人格がもたらした平穏だった。
 彼は臆病だった。
 彼は傍若無人だった。
 しかし、どちらも今は昔のこと。
 新しい自分を手に入れた今、彼がかつての土地に舞い戻り、許してもらえるか分からなくとも素直に謝る日が来るのは、そう遠い未来のことではないだろう。