今日も、いつものように残業で遅くなり、いつものように暗い夜道を歩いて帰る。
 この時間、この道を歩いているのは私と、それからもう一人――。
 私の数メートル後ろから、いつも一人の男の人がついてくる。
 ストーカーかもしれない。私はいつも、最後の角を曲がったところでダッシュでアパートに戻る。そこから先はさすがについてこないようだけど、気味が悪いったらない。
 でも、それも今日までだ。

 僕は、いつも帰る時間が決まっている。いつも定時で上がらせてもらえるということではなくて、いつも最終電車に間に合うギリギリの時間まで残業をさせられているからだ。
 今日はいつもよりは早かったが、それでも既に午後十一時を回っている。
 駅を降りて家までの道を歩いていると、よく一人の女性が僕の数メートル前を歩いている場面に出くわす。ほとんど毎日と言ってもいい。
 きっと、僕と同じで毎日遅くまで残業させられているんだ。可哀想に。
 ただ、ある角を曲がると、突然姿が見えなくなってしまう。住んでいるところがあの辺りということだろうか。
 そうなると僕のアパートとだいぶ近いことになるけど――。

 あの角を曲がる。それが合図代わり。
 私は、格闘技には自信がある。暴漢の一人や二人、ねじ伏せることは容易い。
 一体どういう理由でこんなことをしているのか分からないけど、事情はどうあれ、ストーカーだとしたら、許しておくわけにはいかない。
 あの堂々とした様子から見ると、一見したらストーカーではないと思えるかもしれないけど、そう思わせることで堂々とストーキング行為に及んでいるだけかもしれない。
 いずれにしても、問い詰めれば分かることだ。
 私は大きく深呼吸をして、審判の時を待った。

 どうも、悪い予感がする。
 別におかしなところはない。僕の目の前を一人の女性が歩いていて、数メートル遅れて僕が歩いている。向かう先が同じ方角にあるということだろうから、それ自体は不自然なことでも何でもない。
 ただ、僕は自分の勘には自信がある。根拠や理由がなくても、僕が悪い予感がすると思ったら、きっと悪いことが起こる。
 僕にとって問題なのは、予感がしても、その正体は起こってからじゃないと分からないということだ。だから、自信があっても役には立っていない。

 やっぱり、悪い予感は当たった。
 角を曲がった途端、前を歩いていたはずの女性の姿が見えなくなり、かと思ったら、背後から誰かにタックルされた。突然のことだったので、受け身すら取れなかった。
「いてて……何だよ、一体……」
「それはこっちのセリフよ!」
 僕が座った姿勢のまま後ろに振り返ると、何とそこには、さっきまで前を歩いていたはずの女性が立っていた。暗いからはっきりと確認できるわけじゃないけど、背格好が非常に似ているし、この時間にこの辺を歩いている人間なんて何人もいない。
 いつの間に後ろに回りこんだんだろう。
「今日は野放しになんてしないわ! いつもいつも姉さんの後をつけるストーカーめ!」
「いつも……姉さん……? ストーカー?」
「とぼけたって無駄よ! 姉さんから相談があったんだから。ここ最近、毎晩後をつけてくる男の人がいるって。だから今日は、あたしがそのストーカーの後をつけたのよ」
 なるほど、つまり、さっきまで前を歩いていたのはこの女性の姉か。
 僕が状況の理解に努めていると、物陰からその双子の姉が姿を現した。姉妹が並ぶ。
 暗いとは言え、見るからにそっくりな二人だ。きっと一卵性の双生児なのだろう。
「さあ、金輪際、姉さんをつけ回したり、近付いたりしないって、約束してもらうわよ。これでもあたし、強いんだからね。ふざけたこと言ったら痛い目に遭わせてやるわ!」
「……分かった」
「案外素直ね」
 妹は少し拍子抜けしたようだった。
 ただ、彼女は勘違いをしている。
 僕が分かったと言ったのは、この状況を理解したという意味だ。
 僕は携帯電話を取り出し、電話をかけた。
「……誰に電話したの?」
 妹の問いには答えず、僕は黙って電話の相手がここに来るのを待った。どうせあいつが来るまで一分もかからない。
 そうこうしているうちに、そいつが姿を現した。
「あれ……? その人って……?」
 双子姉妹が目を丸くしている。
「こいつは、僕の双子の弟だよ。この近くに住んでて、毎晩この道を通って帰って来る。きっと、君達がストーカーだと思っているのは、こいつのことだろう」
 弟を親指で指した。弟はストーカーという単語に反応して首を傾げている。
「じゃあ、あなたは?」
「僕は、たまたま今日遊びに来ただけ」
 こんな遅くに遊びに来たのは、弟が残業で終電間際じゃないと帰ってこられないと言っていたからだ。でなければもっと早い時間に来ている。
「そっちの人、毎晩僕の前を歩いている人ですね。帰る時間がいつも一緒だなって思ってた。今日は僕の方が早かったみたいですけどね。この辺に住んでるんですか?」
 弟が言った。
「あ、ええ……あなたも?」
 姉の問いに、弟が頷き返す。
「じゃあ……ストーカーでも何でもない……?」
 双子姉妹は、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔で、言葉を失ってその場に立ち尽くしていた。

 思えば、あの時の悪い予感は、はずれていたのかもしれない。
 二組のカップルが合同で結婚式を挙げたのは、それから数年後のことだった。