走り続ける運命

 僕たちは、ゴールのない駆けっこを、ずっと続けている。
 来る日も来る日も、同じトラックをひたすら回り続ける。雨の日も風の日も関係ない。台風が来ようが大雪が降ろうが、僕たちは走ることを止めない。
 何周したのかなんて、もう遠い昔に忘れてしまった。それくらいに長い時間、僕たちは駆けっこを続けている。
 僕は三人の中で一番遅い。二人の方が僕の何倍も早いので、直ぐに追いつかれ、追い抜かれ、置いてけぼりにされてしまう。どれだけ周回遅れにさせられているのかも、とっくの昔に忘れてしまった。
 でも、それで僕の敗北が決まるわけじゃないし、僕が他の二人よりも劣っているということにもならない。何せゴールがないから、彼らがどれだけ僕より早かろうとも、それで先にゴールテープを切れるわけじゃない。
 僕たちの優劣は、走るスピードには依存しない。そんなもので僕たちは格付けされないし、それ以前に、僕たちの間に優劣なんて言葉は存在しないだろう。三人の中で誰が一番優れているとか、逆に誰が一番劣っているとか、そんなことは他の二人にとってもどうでも良いことだと思う。僕にとってはどうでもいい。
 そもそも僕たちは、勝敗を求めて駆けっこをしているわけじゃない。
 じゃあ何のためにそんなゴールのない駆けっこを延々と続けているのか。上手い言葉が見つからないけど、使命とか義務とか、そんなとこだろう。
 生まれた時から僕たちは、そうすることを義務づけられている。そういう使命を持って、僕たちは生まれてきた。だから走り続ける。
 ゴールがないとは言ったけれど、じゃあどんなことがあっても絶対にこの駆けっこに終わりは来ないのかと言うと、そんなことはない。どんなものにだって終わりは必ずやって来るし、極端な話、この広い宇宙が消えてなくなれば、僕たちだって完全に存在が消えてしまう。そうなったときは、言うまでもなくこの駆けっこも強制終了だ。
 走るのを止めるときは、三人同時に止めることになるだろう。彼らの方が僕の何倍も走っている以上、恐らくエネルギーは彼らの方が消費していると思うが、それでもエネルギーを使い果たして彼らの動きが止まるときは、僕のエネルギーも尽きるときだ。走るスピードはバラバラでも、そういう意味では、僕たちは一心同体と言える。
 時の流れは、決して止まることがない。永遠に時を刻み続ける。
 でも、時の流れを視覚的に具現化された僕たちは、他からエネルギーをもらわないと、動き続けることができない。だから宇宙の終わりが来なくても、そのうちこの駆けっこは終わりを告げる日が来る。
 僕たちにできるのは、そのときが来るまで休まずに走り続けることだけだ。

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