この坂の上には、大きな屋敷がある。
 もう何年も使われていない。昔はとても仲の良い家族が住んでいて、使用人もたくさんいて、しょっちゅうパーティも催したりなんかして、大層華やかで賑やかで和やかな屋敷だったようだけれど、いつからか主人が一人だけになってしまい、数年前にはその主人も亡くなってしまい、それ以来あそこは放置されたままになっている。
 屋敷の中は、全てが数年前のままだ。幾度となくパーティが行われていたであろうダンスホールも、使用人が主のために毎日豪勢な料理を作っていたであろう厨房も、娘さんが使用していたであろうメルヘングッズでいっぱいの寝室も、旅館の温泉並みに広い大浴場も、何もかもが、当時の状態のままだ。
 あの屋敷のエントランスホールには、巨大な柱時計がある。特注だかなんだか知らないけれど、世界にたった一つしかない、凄く立派な柱時計だ。平均的な人間の身長よりもよっぽど背が高く、時計の文字盤の下で揺れている真鍮の振り子も荘厳だ。
 そう、柱時計。
 誰もいなくなってしまったあの屋敷の中で唯一、あの柱時計はまだ、時を刻み続けている。時を告げる相手がいなくなってしまったのに、それでも彼は、動くことを止めない。
 その柱時計は、一日に二回、夜中の十二時と昼の十二時に鐘がなる仕組みになっていた。含蓄のある鐘の音は屋敷の外にまで聞こえ、坂下に住んでいる近隣の住民の間でもちょっとした名物になっていたくらいだ。
 しかし今は、別の意味で名物になっている。
 というのも、数年前からなぜかその柱時計は、一日に一回、それも夜中の二時半という中途半端な時間に鐘を鳴らすようになったからだ。泣く子も黙って寝ているような時間帯なので、その鐘の音を毎日聞いている人はほとんどいないだろう。
 どうしてそんな時間に鐘を鳴らすようになったのか。
 非科学的な話だが、思い当たる節は一つしかない。
 数年前の午前二時半といえば、ちょうどあの屋敷の主が亡くなったと思われる瞬間だ。彼は誰に看取られることもなく、ひっそりと息を引き取った。
 いや、その表現は正しくないかもしれない。
 きっとあの柱時計が、主の最期を看取ったのだ。あの鐘の音は、彼なりの別れの挨拶だったのだろう。今でも鳴り続けているのは、未だに別れを惜しんでいるのか。あるいは、いなくなってしまった主人が帰って来ることを信じて、自分の存在を音に乗せて示しているのか。真意は誰にも分からない。
 ただ一つだけ分かっていることは、これから先もあの柱時計は、鐘を鳴らし続けるだろうということだ。
 聞かせるべき相手のいない、時の止まった屋敷の中で。