「この中に、一つだけハズレの箱があります。その箱を開けなければあなたの勝ち。どうですか?」
「……正気か?」
「妥当なところでしょう。何せあなたは自分の命をベッティングしている。人の生命はそんなに安いものではありませんよ」
 こんなギャンブルで人の命を散々弄んできたくせに、よくもそんなことが飄々と言えるものだ。まあ、これからそんなギャンブルを受けようとしている私に偉そうなことを言う権利はないのだが――。
 目の前には今、十個の箱が用意されている。九個はアタリ、一個はハズレ。その計十個の箱の中から一つ選んで開ける。アタリの箱を開けることができれば賞金百億円がもらえるが、うっかりハズレの箱を開けてしまった場合は、その時点で私の死が確定する。
 当たる確率は九十%。アタリを引ける確率の方が圧倒的に高い。
 ――楽すぎる。
 いや、ギャンブルの内容が楽なことに文句はない。私が言いたいのは、ゲームのアドバンテージと褒賞金の釣り合いが取れていないのではないかということだ。
 普通に考えて、私の方が有利なのは一目瞭然だ。確かに、向こうは負けても金を払うだけなのに対し、こちらは負けたら命を取られる。この時点で対等ではないし、奴の言う通り、人の命はそんなに安いものじゃない。奴が人の命に金額的な価値を付けた結果として、これが妥当だと判断したのなら、それは構わない。他人の価値観に文句を付ける気などない。もっとも、他人の命を自身の手で奪えることに快楽を感じるこんなクズが人の命を重さを語ることには一抹の不満を覚えないでもないが。
 しかし、いくらなんでもこれはおかしい。不自然だ。このゲームバランスでは、奴が湯水のように金を放出していくだけに思える。ギャンブルのディーラーでもあるわけだし、もっと自分の勝ちに偏りを持たせるのが普通だ。
 表面だけを見れば、こんな好条件で百億円が手に入るおいしいギャンブルをやらない手はない、と思いたくなるところだが、話はそう簡単ではない。
 このギャンブルには、過去に何十人、何百人もの人間が挑戦している。確率的な観点からいっても、そのうちの大半は南の国でどれだけ無駄遣いしてもなくならない金で豪遊していても不思議ではないのだが、勝率九十%にもかかわらず、今までに百億円を手にした人間は、実は一人もいない。
 仮に百人がこのギャンブルに挑戦したとして、全員が外す確率は十の百乗分の一。天文学的確率をさらに超越した確率だ。もちろん、各個人の間に直接的な因果関係があるわけではなく、つまり独立事象なので、厳密には常に十分の一で変動がないが、さすがに一人も勝った人間がいないというのはおかしくないだろうか。
 何か裏があるのは間違いない。
「怖い顔をして、どうしました?」
「……いや」
 なぜ、誰もが十分の一のハズレを引いてしまうのか。
「……この箱には、本当にハズレが一つだけしかないのか? 実はどれを開けてもハズレということは?」
 私の言葉に、奴は世の中の九十%以上の人間が吐き気を催したくなるような薄気味悪い笑みを浮かべた。
「誰もが思う質問ですねぇ、それは。このギャンブルに参加したみなさんのほとんどが、その質問を口にしましたよ」
 当然の心理だ。
 このギャンブルのルールの一つに、ゲーム終了後の中身の確認は厳禁というルールがある。要するに、選んだ箱を開けて勝敗が決したら、それ以外の箱を開けて中を確認してはいけないということだ。
 こんなルールを課せられて、怪しくないと思わない輩はいないだろう。
「で、どうなんだ?」
「私が不正工作はしていないと言ったところで、あなたは信用するのですか?」
「今ここで箱を確認させてはもらえないのか?」
「そうですねぇ……」
 奴はあごをさすり、数秒間考えるしぐさを取った。
 どうせ何も考えていまい。今までに何度もその質問をされているのなら、当然答えもすでに用意されているはず。
「ではこうしましょう。一度だけ、ギャンブルの勝敗に関係なく、好きな箱を二つ開ける権利を差し上げます。どれでも好きな箱を開けて、中を確認してください。ただしそれでアタリが出ても、百億円は進呈しません。もちろんハズレだったからと言って、命を失う必要もありませんが」
 随分と中途半端な譲歩だ。
 確かに二つ開ければ、どれを開けてもハズレかどうかを確認することは可能だ。最低でも、確認した箱が二つともハズレなのは、明らかにルール違反だから。
「ただし、条件が二つあります」
 奴は手をチョキの形にして、こっちに見せた。
「一つ目は、確認を行った時点で、ギャンブルの参加に同意したとみなすこと」
 このギャンブルは、一度参加の意思を見せたら、絶対に下りてはいけないというルールもある。下りることはすなわち、自分の人生にも幕を下ろすことを意味する。乗ってしまったら、百億か死かの二択しかない。
 確認を行う時点で、それが成立したとみなされるのか。
「二つ目は、賞金が半分になること」
 わずかな信憑性を得るために、五十億か。割に合っているのかいないのか――。
「もちろん、それが嫌ならこのままゲームを開始しても構いませんよ」
「……一つ目の条件は納得できない」
「ほう。なぜです?」
「箱を確認するのは、本当に不正がないかどうかを確かめるためだ。だが、確認作業をする時点で参加の一択しかないのであれば、不正があろうがなかろうが関係ない。仮に不正を発見したとしても、その時点ですでに逃げられないのだから、無意味だ」
 死の確定しているギャンブルなんてまっぴらごめんだ。
 奴は口元に手を当て、くっくっ、とこもった笑い声を上げた。
「なるほどなるほど……あなた、なかなか慎重な方ですねぇ。先ほどの条件を突きつけるだけで納得した方は、今までに何人もいたのですが」
 金に目がくらんで要点を見落としてしまうのは、ある意味ではしかたない。賞金が百億円という破格の値段なのだから、どうしても欲が出てしまう。その上、勝率は九割だと言われれば、なおさら盲目になりがちだ。
「しかし困りましたねぇ。この条件が飲めないとなると……」
「逆にしよう」
 私の言葉が全くの予想外だったのか、奴はわずかに目を見開いた状態で硬直した。
「逆……とは?」
「この中から一つだけ箱を選ぶ。それは問題ない。ただし、開けるのは俺が選んだ以外の九個の箱、ということだ」
 他の九個の箱を開けて中を確認すれば、残りの一つ、私の選んだ箱がアタリかハズレかは自ずと分かる。どうせ今ここで全ての箱を確認させろと言っても奴は首を縦に振らないだろうし、それなら別方面から攻めるしかない。
 奴は再びこもった笑い声を上げた。実に不快だ。
「では、ゲーム開始前の確認作業はしない、ということですね?」
「ああ」
 恐らくだが、確認作業を行ってもあまり意味はない。
「……いいでしょう」
 奴が不正しているのは間違いないとして、いったいどんな不正をしているのか。
「では、箱を一つ選んでください」
 私は目の前に並べられている十個の箱を見つめた。
 目を凝らして見てみても、十個の箱に違いは見られない。特徴的な疵もなく、描かれているデザインも全く一緒。外見からアタリとハズレを見極めるのは無理のようだ。
「触れて調べても良いのか?」
「どうぞ」
 触ったくらいで見破られるようなイカサマはしていない――ということか。
 それでも念のため、私は十個の箱を順番に手に取って、眺めたり振ったりしてみた。
 分かったことは、どの箱も軽いということと、振っても何の音もしないということ、ついでに、中で何かが動いている様子も感じられないということだ。
 十個全部がそうだった。触って振っても、それぞれの箱に差異は認められない。
「決まりましたか?」
 私がじっと動かないのを決めたからだと判断したのか、奴がそう言った。
「……一つ確認しておくが、俺がハズレの箱を開けなければ俺の勝ち。その言葉に間違いはないな?」
「もちろんです。なぜ、この場でそのような確認を?」
「いや……ちょっとした心の準備さ」
 下手なことを言って気取られてもまずいから、これ以上は突っ込まない方が良い。
 私は左から三番目の箱を指差した。
「これを選ぶ」
「分かりました」
 奴がよりいっそうの不気味な笑みを浮かべた。
「では、残りの九個の箱を開けてみましょうか」
 奴がゆっくりとこっちに近付いてくる。
「箱は、私が開けて構わないのですね?」
「ああ、問題ない」
 奴が触れるということは、そこで何かしらの細工をされる可能性もないわけではないが、選んだ箱は私がしっかり手に持っている。この箱が細工されることはない。
 奴は、私から見て左端の箱を開けた。
 持ったときの軽さと振ったときの感触から中は空だろうとは思っていたが、まさに予想通りだった。
 開けられた箱には、何も入っていない。
 続いて、左から二番目の箱を奴が開けた。
 やはり中身は空だった。
 残りの箱も、全て中身は空だ。
 九個の箱の中身が同一の状態。
 ということは――
「俺の取った箱がハズレで、この九個の空の箱はアタリ……か?」
「そうなりますね」
「この箱の中には、何が入っている?」
「何でも構わないでしょう。ゲームはもう終了しました。その箱を開けることはルール違反です。その場合、あなたの反則負けとなりますよ」
「この箱も、中は空なんじゃないのか?」
 私は持っている箱を振った。
「あくまでもイメージの話だが、こういう類のくじ引きなんかは、ハズレの方が空で、アタリの方に何か入っていると思うのが一般的だ。箱を一つだけ開けて中身が空だったら、それはハズレだと言われても疑わない奴は多い気がする」
「つまり、どの箱を開けても私はハズレと宣告する……と言いたいのですか?」
「今回のような状況じゃない限りな」
 今回は、私が選んだ以外の箱を開けるという条件だった。どの箱を開けても空なら、今回の結果からも分かる通り、それらの箱がアタリだと言ってしまえば、まだ開けられていない箱の中身が空だろうとそうでなかろうと、それがハズレだと言い張れる。
 背理法を逆手に取ったわけだ。ゲーム終了後には箱を開けてはいけないというルールも生きている。
「……まあいい」
 私は、持っている箱を元の位置に戻した。
「この箱の中身が空かどうかは、もはやどうでもいいことだ。重要なのは、俺が引いた箱がハズレで、他の九個がアタリだという、その事実だけだ」
「では、潔く負けを認めるのですね?」
 奴は満足げに笑った。
 笑ったのは奴だけではなかった。私も、思わず笑みをこぼしてしまった。
「どうしました? 死を目前にして、頭がおかしくなりましたか?」
「目前? どうして死が目前なんだ? 勝負は俺の勝ちなんだから、俺が手に入れるのは死じゃなくて百億のはずだがな」
「何を言っているのですか?」
「だから、開いている九個の空の箱がアタリで、俺が手にした、まだ開けられていない箱がハズレなんだろ?」
「ですから、あなたの負けだと……」
「あんた、何て言った?」
「……はい?」
「この中に一つだけあるハズレの箱を開けなければ俺の勝ち、その言葉に間違いはないと、あんた認めたよな? 見ても分かる通り、俺はハズレの箱を選びはしたが開けてはいない」
「な……!?」
 常に上から私を見下していた表情が崩れ、初めて奴が驚きをあらわにした。
「あ、あれは……」
「言い間違えだ、とか言い出さないよな?」
 奴は、私が提案したルールに上手く対応できたつもりでいたのだろうが、そうは問屋がおろさない。
 奴はおそらく、ゲーム開始前の確認作業のときに、空の箱をアタリだとは言わないのだろう。十個とも中身が空、どの二つを調べようと、同じ空の箱を確認することになる。ギャンブルに参加した連中の大半は、それをアタリだと勘違いしてしまったのだろう。
 ハズレは一つしかないはず、ならば空の箱がアタリなのだ――と。
 口の達者な奴のことだ。回答を上手くはぐらかしつつ、空の箱がアタリだと思い込ませるくらいの芸当は朝飯前だと思う。
 勘違いしてしまったら、もう負けたも同然だ。いざゲームがスタートして空の箱を開けたとき、喜びも束の間、それがハズレだと奴に宣告される。しかしこのギャンブルは一度乗ったら下りられないというルールがあるから、ゲーム終了時に全部がハズレだと言われても、そのときには手遅れだ。
 だから今回は、こちらも変化球を使わせてもらった。ハズレが一つだけだからこそできた芸当ではあるが、とにかく私の勝ちだ。
「……く……くっくっく……」
 奴が突然笑い出した。
「ひゃーっはっはっは! いやぁ、まったくたいした人だ、あなたは! まさかそんな指摘をされるとは思いませんでしたよ。素晴らしい!」
 そう言って奴は手を叩いた。全く称賛の意がこもっていない拍手だ。
「いいでしょう! このギャンブルはあなたの勝ちです! 潔く負けを認めようではありませんか!」
 とても耳障りな声だ。あまり長くは聞いていたくない。
「じゃあ、さっそく賞金をもらおうか」
「いいでしょう。ただし、この建物から無事に出られたら、の話です」
「何だと!?」
 どういうことだ。
「私は確かにあなたが勝てば百億円を進呈すると言いましたが、この場ですぐに渡すとは言っていませんよ。百億円ともなれば、結構なスペースを有しますからね。こんな狭い部屋には置いておけません」
「貴様……!」
「建物を出てすぐのところに、百億円を保管してある金庫小屋があります。そこまで無事に辿り着けたら、どうぞご自由にお持ちください」
「まさか、今まで一人も百億円を手にした奴がいないのは……」
「さあ、どうでしょうか」
 奴の顔が再び薄気味悪い笑みに変わった。
 どうやら、百億円を手に出来る確率が九十%というのは、こちらの勝手な思い込みだったらしい。
 本当のギャンブルは、ここからってことだ。