「物質が質量を持つのは、ヒッグス粒子と呼ばれる粒子で満たされた、ヒッグス場の影響によるものです。そうですね……例えば、あなた達の前に今、人垣が出来ているとしましょう。その人垣は、あなたの進行を邪魔します。それでも前に進むには、人垣を押し退けなければならない。この時、あなたは重さを感じますよね? それが、質量を得た状態なのです。この場合、人垣がヒッグス場で、人垣を構成している人間一人一人が、ヒッグス粒子だと思って下さい。あなた達は本来質量を持たない粒子ですが、人垣に邪魔されることによって、重さを感じる、質量を持つことになる」
 この辺までは、いつもみんな真面目に聞いてくれる。何度か講演を重ねる中で、私はそれを知っていた。
「ではここで、ヒッグス場の影響を受けない物質について考えてみましょう。この物質は質量がありません。質量がないから、重力の影響も受けない。重力は質量を持つ物質にしか作用しませんからね。つまりこんな物質で構成された存在は、空中を自由に浮遊することが出来るし、先ほどの例で言えば、人垣が出来ていたとしても、まるでそこに何もないかのように素通り出来ます。別に人垣でなくても良い。壁だろうが何だろうが、擦り抜けられる。私はそれが――」
 勿体ぶるように、私はワンテンポ空けた。今回の話の中で、一番重要な部分だから。
「――幽霊の持っている性質だと考えています」
「……は?」
 実際には聞こえなかったが、私には、会場にいた全員が心の中でそう言ったのが分かった。勿論、そんな唖然とした空気になるのは承知の上だ。最近では、してやったりと思うことすらある。
 数秒の真空状態の後、会場がざわつく。何だこの科学者は、と言わんばかりの奇異の目で私を見るようになり、粒子が崩壊するかの如く、話を聞く態度も変わって行く。酸素の半減期並みに、真面目に聞く人の数が減って行く。
「幽霊はよく、触れることが出来ないのに何故ドアをノックするなどの物理現象を起こせるのか問われますが、それは、そういう物質で構成されているからです。正確には触れることが出来ないのではなく、触れた感触が得られないだけです。光と似ています。光も質量がありません。触れた感触もない。でも物理的な作用を何も及ぼさない訳ではないですよね? 勿論、幽霊と光は性質が違います。それどころか幽霊は、現存するどの物質とも違う性質を持っている。人間大の大きさをした物体で質量がないものは、まだ存在を確認出来ていませんからね。従って幽霊は、我々がまだ発見出来ていない、未知の粒子で構成されている可能性が高いのです。だから私は、その未知の粒子、幽霊を構成する粒子を視認出来る装置の研究と開発を、現在行なっているのです」
 この辺まで来ると、私の話を真面目に聞く人は殆どいなくなる。しかしそんなことは慣れっこなので、いつものように、私は締めの一言をぶつける。
「幽霊は非科学的な存在ではありません。科学的に見ることが出来る存在です」
 いつもなら、講演が終わった時に拍手が起こることはない。
 しかし、その時は違った。
 一人の女性が私の話が終わるや否や立ち上がり、質量がないかのように、すっかり重苦しくなった場の空気の影響を受けることなく、私が退室するまでたった一人、静まり返った会場の中で手を叩き続けていた。
 あの印象深い講演会から数年――。
「もう少しだ。もう少しでこれが完成するぞ」
「いよいよ幽霊も視認出来るようになるって訳ですね、先生」
「その通りだ。君にはだいぶ苦労を掛けてしまっているが、もう少しの辛抱だぞ」
 学会でも異端児扱いされているものだから、碌に研究費も出ず、まともな設備も整えられない。しかし全く気にする様子もなく、この助手君は文句一つ言わずに、ずっとついて来てくれている。もっと設備も華もある研究施設に行くことだって出来るのに。
 彼女の為にも、是非ともこれを完成させたいものだ。
「ボクのことは気にしないで良いですよ。好きで先生の助手をやってるんですから」
「本当に君は変わり者だな。こんな私の助手を好きでやっているなんて」
「変わり者同士、惹かれ合ったってことじゃないですかぁ?」
 異端児扱いされることに慣れてはいても、やはりこうして、一人でも味方がいてくれると、嬉しいものだ。
 彼女が私の研究室にやって来たのは、あの講演から数日後のこと。
 別に私は助手など募っていなかったし、そもそも先生と呼ばれる立場の人間ではないのだが、彼女はヒッグス粒子のように突然現れて、第一声から私のことを先生と呼び、自分のことは助手君と呼べと無邪気に笑い――
「この前の先生のお話、とても面白かったです。ボクも先生の研究手伝います!」
 私の了承も得ずに、押し掛け女房の如く居着いてしまった。
 断って強引に追い出しても良かったのだが、今まで私の講演を聴いて拍手をしてくれた人なんて一人もいなかったから、何となく彼女の提案を断ろうという気になれずに、気づいたら数年も経ってしまった。
 どうして私の助手になろうと思ったのか。その理由を訊ねた時の彼女の答えが、ちょっとユニークだったのも、あったかもしれない。
「理由ですか? 先生が面白くて自分に正直な人だからです」
「面白くて、正直? 私がか?」
「先生の研究テーマって、幾らでも言いようがあるじゃないですか。それを、幽霊を科学的に視認するだなんて、わざわざはみ出し者になるような言い方しちゃって」
「そういう研究をしているからな」
「でも先生の研究って、未知の粒子の検出を目的としているんでしょ? だったらそう言えば良いじゃないですか。それなら今頃、こんな扱いされずに済んでるのに」
「未知の粒子の検出を目的としている訳ではないよ。私の理論では、幽霊という存在は未知の粒子で構成されている可能性が高いというだけで、それを見ることが出来れば、結果として未知の粒子を検出出来たことを意味するというだけだ」
「だから、それなら幽霊なんて言葉は伏せて、如何にもそれっぽく言えば良いじゃないですか。何でそうしないんですか?」
「私は科学者だ。ペテン師じゃない」
 言葉では何とでも言える。
 しかし結局のところ、それを裏付けるだけの証拠がないと、見向きはされない。科学者に必要なのは言葉巧みに理論を語る力ではなく、自分の打ち立てた理論を立証する力なのだ。説得力なんてものは後から勝手について来る。千の言葉よりも、一つの確証だ。
 だが私は未だに、その証拠を提出出来ていない。だから爪弾きにされている。幽霊はいると本気で訴えている科学者の扱いなんて、こんなものだ。それでも職を失ったり軟禁されてないだけ、ガリレオよりは恵まれている。
 とにかく私は、世間に受け入れられる為にはぐらかす気は更々ない。
「私は嘘が吐きたい訳でも、金が欲しい訳でもない。幽霊が見たいんだ」
「ほら、やっぱり先生は面白くて正直な人じゃないですか。尤も先生の場合、バカ正直ではなくて、ただのバカな人ですけど」
 彼女は基本的に歯に衣を着せない。明け透けで、だがそれだけに、厭味はない。
「でもそういう人の話の方が、聞いてて面白いんですよ、ボクは。それに、傍から見たらバカバカしいことを真面目に頑張るのって、楽しいじゃないですか」
「……まあ、一理ある、かな」
 あの日から私達は、分子の共有結合のように、二人三脚で研究を続けて来た。
 一人でやっていた時も順調に進んではいたのだが、助手君が来てから研究は一気に加速した。彼女はとても優秀だ。私は自分の研究に自信がなかった訳ではないが、それでもゴールが見えずに、暗闇の中を手探りで進んでいるような感覚で研究を続けていたのは事実だ。しかし今では、彼女が光となって暗闇を照らしてくれているお陰で、ゴールがはっきりと見える。
 私の開発している検出器は、簡単に言うとゴーグルである。レンズに特殊な加工を施すことにより、肉眼では捉えられない未知の粒子を視認出来る。どんな風に見えるかは、正直なところ、実際に見てみないと分からない。私なりに、こう見えるだろうという推測はあるものの、何せ相手は未知の存在だ。もしかしたら、予想と全然違った見え方をする可能性だってあるかもしれない。
 因みに私の推論では、このゴーグルで人間の幽霊を見た場合、今の私や助手君のような普通の人間を見るのと変わらない。
「あ、そうだ先生」
「どうした、助手君?」
「言い忘れてましたけど、ボク、来週一週間、お休みを貰いますね」
「来週……ああ、お盆か。分かった」
 助手君はいつも、お盆や年末の休みは好きに取る。この日に取りたいんですけど、と私に確認を取るようなことはしない。それは彼女の性格の所為もあるが、ここは店でも会社でもないので、営業日も特に決まっていない。休みたければ好きに休めば良い。そもそも彼女とは、雇用契約すらまともに交わしていないのだ。彼女は好きで私の助手をやっていると言ったが、私の方も、その善意に甘えているだけ。
 しかし、来週一週間か。
 実は、ゴーグルの完成は来週辺りになるだろうと、私は睨んでいる。彼女にはそのことを伝えていない。
 来週丸々休むとなれば、完成の瞬間を助手君と一緒に祝うことは出来ない。せっかくここまで一緒に頑張って来たのだから、完成の瞬間は共に喜びを分かち合いたい。一日でも早く完成させたい気持ちもあるが、焦っている訳ではないので、彼女が帰って来るまで完成を先送りにしようか。逆に助手君のいない間に完成させて、帰って来るなり完成品を見せてビックリさせるというのも、面白いかもしれない。彼女なら恐らく、完成の瞬間を見たかったと怒ることもないだろう。
「どうかしたんですか、先生?」
「何でもないよ。気をつけて帰っておいで」
「お土産期待してて下さいね。何かリクエストあります?」
「特には。助手君の方こそ、期待しててくれよ。帰って来たら、面白いものを見せてあげられるかもしれない」
「おお? 何か含みのある言葉ですねー。もしや……」
 彼女はそこで言葉を止めた。勘の良い彼女のことだから、私の言いたいことも察したのだろうが、それ以上に彼女は、空気が読める女性だ。本当に、私なんかの助手にしておくには勿体ない人材だ。
 宣言通り、週明け早々に彼女は実家に帰省した。
 私は元々家族とはあまり連絡を取り合わないし、盆暮れ正月にも帰省はしない。仲は悪くないのだが、この研究を始めてからは、何か妙なことに没頭していると親戚連中から気味悪がられているらしくて、親戚が多く集まるお盆や年末年始には顔を出し辛い。だからこれが例年通りだ。
 今週中に完成予定とは言ったものの、本当に完成出来るかは五分五分だ。確実に完成させたいなら、気合いを入れるしかない。
 私は寝食を忘れて、ゴーグルの完成に心血を注いだ。
 その甲斐あってか、助手君が戻って来る日の朝に、ゴーグルは完成した。
「ついに出来たぞ……」
 研究を始めてから延べ十数年。この日が来るのを待ち侘びていた。
 理論上は何の問題もない。間違いなく完璧に出来た。このゴーグルを掛けてそこらを歩き回れば、この目で幽霊の姿を確認することが出来る。
 殆ど寝ずに作業をしていた所為で、体力の方は限界に近かったが、それよりも、幽霊を見てみたいという好奇心の方が僅かに勝った。
 気休めにコーヒーを飲み、私は早速ゴーグルを掛けて後ろを振り返った。
 すると――
「……おや、助手君? いつの間に戻って来てたんだい?」
 全く気づかなかった。それだけ集中していたのか、体力の限界で注意力がゼロになっていたのか。
 私の掛けているゴーグルに気づいたのか、助手君は私と目が合うなり驚いた表情を浮かべた。期待通りの反応が貰えて何よりだ。
「見たまえ。ついに完成したぞ。これで幽霊を視認出来るぞ」
 私はゴーグルを指差しながら言った。
 彼女が笑みを浮かべて大きく頷く。完成を喜んでくれているようだ。
「ちょうどこれから外に行って検証しようと思っていたんだ。君も一緒に来るだろう?」
 一も二もなく頷くかと思ったが、予想に反して彼女は、何も言わなかった。黙って私を見ているだけ。その様子が何処か引っかかった。
 無邪気に笑っている姿は、いつもの彼女と変わりない。なのに何かが違う。
 そんな原子核レベルの微妙な違和感を覚えていると、助手君の背後にある入口のドアが開いて、見知らぬ人が入って来た。
 女性だ。私よりも随分年上に見える。四十代――いや、五十代か。
 私が黙って見つめていると、その女性が私を見て口を開いた。
「あなたが、ここの研究所の所長さんでしょうか?」
「ええ、そうですが。あなたは?」
 彼女は丁寧に頭を下げて、名前を名乗った。
 どうやら、助手君の母親らしい。
 こんな研究所に娘を縛りつけて妙な研究につき合わせているのだから、怒鳴られても仕方ないと思うのだが、そんな様子は一切なく、面倒を見ていることに対してお礼まで言われてしまった。
 苦言を呈しに来たのでなければ、娘がどんな仕事をしているか見学にでも来たのかと思ったが――
「本日ご挨拶に窺ったのは、生前娘がお世話になっていたお礼をと思いまして……」
「……え?」
「実は一昨日のことなのですが、娘が事故に遭いまして……」
「事故? え、だって、助手君ならそこに……」
 彼女の斜め前に立っているのは、紛れもなく助手君だ。他人の空似ではない。
「ま、まさか……」
 私は、自分がゴーグルを掛けたままだったことを思い出した。
 ゴーグルを外して、改めて助手君の立っていた場所を見つめる。
 ――誰もいなかった。
 母親の話では、一昨日の夕方、助手君は買い物に出掛け、そこで大型の車に撥ねられてしまったとのこと。病院に運ばれたが、残念ながら助からなかった。
「そう……だったんですか」
 何だか急に気が抜けてしまった。忘れかけていた眠気も一気に襲って来た。このまま倒れ込んで寝てしまいたい。起きた時には、これが全部夢であることを祈って――。
 そんな私の思いを打ち消すように、母親は葬儀の予定などを私に告げ、良かったら参列して欲しいという旨を伝えて、帰って行った。
 私はもう一度ゴーグルを掛けて、助手君の方を見た。
 彼女は変わらず、笑顔で立っている。
「あー……何と言ったら良いか……災難、だったな」
 彼女が頷く。
 上手く言葉が出て来ない。亡くなった本人にご愁傷様って言うのが適当なのかもよく分からないし。
 だがこんな状況でも、私の科学者の部分はちゃんと仕事をしているようだ。助手君の姿を見て、私の予想は正しかったと判断している自分がいる。
 幽霊の見た目は、生身の人間と変わらない。服もちゃんと着ている。但し、幽霊という個体が服を着ている訳ではなくて、服も含めて、幽霊という個体なのだ。そういう物質で構成されているのが、幽霊である。
 私の理論は間違っていなかった。まさに今、私はその確証を得た。
「空は、飛べるのか?」
 私の質問に助手君は何かを答え、ヘリウムの入った風船のように、柔らかく空中を泳ぎ始めた。
 彼女が何を言ったのかは、聞き取れなかった。恐らくそうだろうとは思っていたが、やはり幽霊の発する声というのは、人間の耳では聞き取れないらしい。ただ彼女の方は、私の声を問題なく聞き取れている。つまり聴覚に関しては、人間と変わらぬものを持っているということだ。
 暫く浮遊して、助手君は私の直ぐ目の前に下り立った。
 先ほどの母親のように、彼女がゆっくりと頭を下げる。これ以上助手が出来なくてごめんなさいとか、今までありがとうとか言っているのかもしれない。
 最後に、多分別れの言葉を言って、彼女は部屋から出て行こうとした。
「ちょっと待ってくれ」
 私が呼び止めると、彼女は立ち止まってこちらに振り返った。
「君の声は聞こえない。だから君が今何を言ったのか、それを聞き取ることは出来なかったんだが、何処か行かなければならない場所があるのか?」
 助手君が首を横に振る。そういう訳ではないようだ。
「だったら、傍にいておくれよ。声は聞こえないが、今の私には、君の姿を見ることは出来る。だからこれからも助手として、私の傍にいてくれ」
 幽霊になったところで、助手君は助手君だ。
 大体、初めて会った時から彼女は、質量がない存在だったではないか。講演会で一人拍手をした時も、助手として暗闇を照らす光となった時も、そして今も。
 そう考えたら、今の彼女も、以前と何ら変わりない、大事なパートナーだ。
「君が傍にいないと、私は寂しいよ」
 愛の告白をしているみたいで、少し照れくさかった。
「いや、ほら、あれだ。君がいてくれると、サンプルに困らないと言うか……いや、モルモットになってくれって意味ではなくて、まあ、とにかくあれだ」
 私の慌てている姿がおかしかったのか、彼女は大声で笑った――ように見えた。よっぽどおかしかったのだろう。目に涙まで浮かべている。
 一頻り笑った後、彼女は力強く頷いてくれた。
「ありがとう、助手君」
 彼女が入口の方を指差した。外に行かないのか、とでも言っているのだろう。
「一先ずは良いよ。君のお陰で実証出来たからね。それより、君がいない間はずっと寝ないで作業していたから、いい加減、眠気の方が限界なんだ。まずはぐっすり休んで、それから次の研究に取りかかろう。次の研究テーマも、たった今決まったから」
 次は、幽霊の声が聞き取れる補聴器でも、造ってみようと思う。