鬱陶しい。
 周りの全てが鬱陶しい。
 だから俺の行動は、一言で言うならめちゃくちゃだった。
 学校はサボる。人の話は聞かない。因縁つけてくる奴は端からぶっ飛ばし、二度と俺にでかい態度を取れないようにする。俺と同世代の連中の半分は、病院に行った時、医者にどうしたのかと訊かれて、あいつにやられた、と答えたことがあるだろう。
 別にそれが悪いことだとは思わなかった。悪いのは俺じゃなくて、俺をこんなにイライラさせる、鬱陶しい世の中の方が悪いんだと、ずっとそう思っていた。
 中でも特に鬱陶しかったのが、近所に住んでる幼馴染だ。小学校中学校と同じクラスで、顔を突き合わせれば小言を言う、心の底から鬱陶しい奴だ。
 俺と違って高校は進学校に入学したが、多分、あいつはバカなんだろう。俺の傍若無人っぷりを知らない奴はいなかったし、俺が手のつけられない奴だってことも周知の事実だったから、俺が中学に入った辺りから、家族も含めて俺に何か注意をしてくる奴はいなかった。俺に話しかけて来ることは、喧嘩を売って来ることと等しかった。
 唯一の例外が、あいつだった。鬱陶しいからどんなに話しかけられても無視していたのだが、それでもあいつはめげずに話しかけて来た。
「ねーねー、また今日も学校サボったでしょ? 明日はちゃんと行きなさいよ?」
 ここ最近で一番よく聞くセリフだ。鬱陶しいからもちろん無視しているが。
 いつもなら、あいつはその一言だけ言って、俺が無反応なのを確認して帰って行くのだが、今日は珍しく、食い下がって来た。
「あんたさぁ、後悔してないの?」
 俺の行く手を阻むように回り込んで来て、そいつは言った。
「本当はさぁ、後悔してるんでしょ?」
 俺は無視して、そいつの横を通り過ぎた。
 でもすぐに、また回り込まれた。
「例えばさ。もし明日死んじゃうとしたら、あんた、どう思う? まあ、多くの人は、明日死んでも悔いないように生きてはいないと思うけどさ。でもあんたの場合は、人より残る悔いが多いんじゃないかなぁって思うよ」
 何でこいつは、今日に限ってこんなによく喋るんだろう。
 俺にとっては毎日が代わり映えしないものだから、こんな風にいつもと違うことがあると、やたらと印象に残る。
「もう少しさ、精一杯生きてみようって思っても、良いんじゃないの?」
「……うるせーよ」
 それだけ言って、俺は奴に背を向けた。
 あいつはもう回り込んで来なかった。
 ただ、俺の背中に向かって一言――
「久しぶりに聞いたね、あんたの声。ちょっと嬉しかったよ」
 やけに寂しそうな声で、そう呟いた。

 もしかしたら、あいつは何かを予感していたのかもしれない。だからあの時は、いつもより喋ったのかもしれない。
 俺の声を、最期に聞く為に。
 俺が何か言うまで、あいつは喋り続けるつもりだったのだろう。
 人が死ぬ時ってのは、随分と呆気ないもんだ。俺があれだけ殴っても病院送りになる程度なのに、たいしたスピードも出ていない車にちょっとはねられただけで、あいつは死んでしまった。
 打ち所が良ければ、死ぬことはなかったらしい。つまりあいつは、打ち所が悪かった、ということだ。それは要するに、運が悪かった、ということでもあるのだろう。
 葬儀には出なかった。
 元々出る気もなかったが、俺は町中の人間から煙たがられているから、参列しても嫌な空気になるだけだ。俺の両親も俺に来て欲しくはなさそうだったし、多分あいつの両親も、そう思っていただろう。だから出なかった。
 あいつが死んでも、俺の生活には変化がなかった。精々、小言を言われることがなくなったくらい。一番鬱陶しいのがなくなって、人生が少し楽になったくらいだ。
 でも、何だろう。
 あいつが死んで何日かはそう思っていたが、段々、なくなったのは小言ではなく、張り合いの方だったんじゃないかと思うようになっていた。
 あいつの小言が鬱陶しかったのは事実だし、掛け値ない本音だ。でも、その鬱陶しさというのが、ある意味では生活必需品だったのかもしれない。
 何せあいつがいなくなると、もう俺に話しかけてくる奴がいない。喧嘩を売って来る奴も、今となってはもういない。全員のしてしまったから。
 別に誰かに話しかけてほしいと思っているわけじゃない。ただ、ここまで完璧に孤独になると、どうにも手持ち無沙汰な感が否めない。
「物足りねーな……何か」
 気がついたら、あいつの墓の前に立っていた。
「お前……死んで後悔してんのか?」
 あいつは、明日死んでも後悔しないように、生きてたのだろうか。
 ――もう少しさ、精一杯生きてみようって思っても、良いんじゃないの?
 あいつの最期の言葉が、やけに耳に残っている。
「……うるせーよ」
 線香も挙げず、手も合わせずに、俺はその場を後にした。

 しばらくして、俺は学校を辞めた。
 どうして急にそう思い立ったのか、それは俺自身にもよく分からない。ただ、鬱陶しい世の中にすっかり退屈してしまったのが、何かもどかしかった。
 とりあえず、自活してみようと思った。自分で自分の生活費を稼ぐと、何が変わるのかが知りたかった。
 とは言え、俺の噂はそこかしこに流れているから、俺が働くと言ったところで、誰も信じてはくれなかった。当然、そんな俺を雇おうと思う酔狂な奴もいなかった。問題を起こされては困る、そんな態度で、ことごとく採用を断られた。
 それでも、方々を土下座して回って、何とか街の小さな会社に就職することになった。
 住むところも決まった。俺は生まれて初めて親にも土下座をして、少しだけ金を工面してもらった。
 ついでに、あいつの両親にも頭を下げて、写真を一枚分けてもらった。随分と嫌な顔をされたが、一応幼馴染だからってことで、渋々了承してくれたようだ。
 俺はそれを、自分の部屋に飾った。
 俺は頭が悪いから、いきなり自活を始めて、それが上手く行くとは思えない。だから、あいつの写真でも部屋に置いとけば、夢枕にでも立って、また小言の一つでも言ってくれるかもしれない。写真を飾った理由は、そんな程度だ。
 無事に引っ越しが終わり、俺は初めて自分で食う料理を自分で作った。作ったと言っても、お湯を沸かしてそこに麺を入れて数分煮込んだだけの、具のないインスタントラーメンだが。器に移すのが面倒だったから、鍋から直接食べた。
 一晩経ち、俺の初出社の日がやって来た。
 俺は着慣れないスーツに身を包み、やたらと時間をかけてネクタイを締め、写真立ての前に立った。
「今日だけはスーツなんだってよ。明日からは私服で良いそうだ」
 俺はあいつの写真に向かって話しかけた。
 どうせあいつも、俺のスーツ姿なんか似合わないと思っているに違いない。でも、見て後悔した、とは思わないだろう。俺もそうだ。滑稽だとは思うが、生まれて初めてスーツに袖を通せたことを、後悔はしていない。
「じゃ、行って来る」
「精一杯頑張ってみなよ」
 そんな声が聞こえた気がした。
「ああ……任せておけ」
 今日から俺がお前の分まで、明日死んでも悔いのない今日を、精一杯生きてやるさ。