別に正義を振りかざしたいわけではない。
 ヒーローとして崇められたいとか、人から後ろ指を差されないように善人を演じたいとか、そういうわけでもない。
 言うなれば、本能。
 自分はそれが好きだと、本能が感じている。だから見返りなんて、あってもなくても同じ。味が好きで買っているスナック菓子についている、おまけのシールのようなもの。
 きっかけは、覚えていない。多分、すごく些細なことだったのだとは思う。
 母親の手伝いをして褒められたのが嬉しくて、もっと褒めてもらおうと頑張っていたのが、いつの間にか当たり前の行動になっていた。そんな程度だ。
 最初は人から褒められたいが為にやっていたのだと思う。ただ、当たり前の行動になった頃にはもう、誰からも褒められなくても充足感を得られるようになった。
 ただの自己満足だと言われたら、否定はできないのかもしれない。偽善だ独善だと言われたら、反論の余地はないのかもしれない。
 それでも構わない。
 僕は、自分が好きでその生き方を選んでいるのだから。
 そう、生き方。
 僕にとって、誰かの願いを叶える為に行動するのは、生き方そのものなのだ。

「本物の雪が降っているところを、見てみたいんだ」
 そんなことを言う少年と出会ったのは、日射しのきつい真夏のことだった。
 知り合いが怪我で入院したと聞き、お見舞いに行った時に、たまたま廊下ですれ違ったのが最初の出会い。随分と元気がなさそうだったから、ちょっと元気づけようと思って、知り合いの見舞いの為に持って来ていた菓子をあげたのが、会話のきっかけだった。全体的に痩せこけていて、明らかに元気がない様子だったが、それでも僕が菓子をあげると、ありがとう、と頼りなく笑った。
 僕には難しいことは分からない。ただ、少年の病気はとても重く、医者は匙を投げてしまっていることは理解した。延命の為に入院している――少年からすれば入院させられている状態らしいが、それでもあと何年生きられるかは分からない。ただ少なくとも、延命処置を止めて今すぐ退院したら、一週間は持たないそうだ。
 知り合いが退院してからも、僕はたびたび病院に足を運び、少年と他愛のない会話をして過ごした。
「この辺って、冬でも雪降らないでしょ? だからぼく、雪って触ったことないんだ」
 少年はそんなことを言っていた。
「テレビでは見たことあるよ。何かぼくと同じくらいの子どもが、雪合戦をしてて楽しそうだった。ぼくも一度、ああいうのやってみたいんだよ」
 その話を聞いた時から、僕は決めていた。
 冬になったら、その願いを叶えてあげようと。少年を病院に外に連れ出して、本物の雪を見せてあげようと。
 それがどれだけ責任を伴うことなのか、僕にはきっと分かっていなかったのだ。

 少年の体は想像以上に弱っていて、病院から車までの数十メートルを移動するだけでも、呼吸が苦しそうだった。
「大丈夫かい?」
「うん……大丈夫」
「やっぱり……戻るかい?」
「ううん……ぼくは、行くよ」
 苦しそうな様子で、それでも笑顔を見せた少年を見て、僕は覚悟を決めてアクセルを踏み込んだ。
「天気予報では、北陸地方は今日も明日もずっと雪だってさ」
 自分で車を運転してあっちの方に行くのは初めてだが、それでも、明日には着く。一目見て、それでまた病院に戻れば、大丈夫なはずだ。一週間は持たないという話だが、逆に考えれば数日なら大丈夫ということでもある。それまでに病院に戻って再び延命処置を受ければ、間に合うはず。
「ごめん、お兄ちゃん。ぼく、寒い……」
 北陸が近づくに連れて気温も下がり、少年は体を丸めてガタガタと震え始めた。こっそり抜け出して来たから、少年は病院服のまま。それがまた、少年の体力を奪って行くようだった。
 僕は自分のジャンパーと、念の為にと持って来ていた毛布を少年に被せ、車内の暖房もガンガンに効かせたが、それでも少年の震えは止まらなかった。
 一刻も早く雪の降る場所に辿り着かなければという思いが、僕を焦らせていた。
 それがいけなかった。
 気がついた時には、僕の車は前の車に頭から突っ込んでいた。
 幸い、大した事故ではなかったけれど、車はしばらく動かせなさそうだ。
「ほんとに気をつけろよ、ったく」
「す、すみません……」
「ちゃんと修理代は払ってもらうからな」
「はい、それはもちろん……」
「まあ大してスピードが出てなかったから、俺に怪我はなかったけどよ。そっちも大丈夫なんだろうな?」
「はい、大丈夫です。こっちも怪我は……」
 僕の言葉を聞きながら、前の車を運転していた男性は僕の車を覗き込み――
「馬鹿野郎! どこが大丈夫なんだよ!」
 僕の方を睨んでそう言った。
「……え?」
「おい、大丈夫か坊主!?」
 事故のことなど忘れてしまったかのように、血相を変えた様子で男は車の助手席を開けて、少年の肩を軽く揺すった。
「意識がねえぞ。どうなってんだ?」
「意識が……ない?」
 もう何時間も会話はしていなかったが、僕は少年が寝ていると判断していた。だから目的地に着くまでそのまま寝かせておこうと、そう判断していた。
 男は額に手を当て――
「すげえ熱じゃねえか……おい! お前、今、こいつを病院に連れて行く途中だったのか?」
「い、いえ……」
 行動で言えばその逆だ。
 男はもう一度、馬鹿野郎、と叫んだ。
「今すぐこいつを病院に連れてけ! 今すぐだ!」
「あ、いや……でも」
「救急車だ。すぐ救急車を呼べ!」
 僕が何もせずにまごまごしていると、男は舌打ちをしてからケータイを取り出し、自分で救急車を呼んだ。
 救急車はすぐに来た。
「こっちの処理は俺がやっとくから、お前は一緒に病院に行け」
 僕たちは雪の降る街に辿り着くことができずに、病院に逆戻りすることになった。

 二日後、少年が息を引き取ったという報せが届いた。
 僕は少年に、雪を見せてあげることができなかった。
 僕は、間違っていたのだろうか。
「自己満足なだけじゃ、ダメってことだな」
 車の修理代を払いに行った日、僕は少年のことと、それから自分のことをあの男に話した。その結果が、この一言だ。
「人は自分の願いを叶えるのだって、相当苦労するもんなのに、誰かの願いを叶えるなんてことが、そんな簡単にできるわけねえだろ? 違うか? 偽善だの独善だの言われて、それでも仕方ないとか思ってるような奴には、誰かの願いを叶えるなんてできやしねえよ。誰かの役に立つってのは、そういうことじゃねえ」
 まさしく、反論の余地がなかった。
 僕はたぶん、人の役に立つという行為を、軽く見ていたのだろう。取りも直さず、それは僕が今まで、程度の軽い役立ち方しか、して来なかったからだ。お遣い程度の軽い願いしか、叶えて来なかったからだ。
 それを大袈裟に生き方そのものなんて宣った結果、一人の少年の命を奪ってしまった。
 僕が連れ出さなければ、少年はもっと生きられた。そしたら、延命処置を続けている間に何か新しい治療法が見つかったかもしれないし、そのおかげで無事に雪を見ることができたかもしれない。
 本当に少年の願いを叶えたいと思っていたのなら、そっちの方が正しい選択だったはずなのに、僕は自分の力でそれを叶えることに執着してしまった。まるでこれが、天から与えられた使命だとでも言わんばかりに。そうすることが運命として決まっていたかのように。
 こんなの、ただの慢心だ。正義を振りかざしたいわけじゃないなんて、そんなことがよく言えたものだ。
 本当に誰かの願いを叶える為に生きたいのなら、自分で行動することが最善なのかどうかも考えなければいけないのに、僕はそれをしなかった。
 僕は――今までずっと、間違っていたのだ。
「まあ、そんなに辛気くせー顔すんなよ」
 男は笑みを浮かべて、僕の肩をポンと叩いた。
「誰かの願いを叶えたいっていう、その姿勢は、とても良いものだと思うぞ。だからそんんなに落ち込むな。お前の選んだ生き方は間違ってねえよ。ただ、考え方が少し足りなかったってだけだ。だからその生き方を止めるな。あの少年にしてやれなかった分まで、誰かの力になってやれ」
「……はい」
 そう、僕は今まで間違っていた。
 その結果、僕は大きなものを失った。
 それは二度と取り返しがつかないものだけど、その代償に得たものもある。
 だから、もう一度やり直そう。間違いを正して、二度と大切なものを失うことがないように、今回得たものを大切にしていこう。
 それが僕の、生き方だ。