僕は、他人に興味がない。
 いかなるときも客観的な視点で物事を冷静に見極めるためには、まず感情移入という言葉を辞書から捨て去る必要がある。他人に感情移入するということは、主観的に相手のことを理解しようとする行為だ。それは僕の望むところじゃない。大局的に状況を分析し的確な判断と適切な行動を取るためには、ノイズがあってはならない。主観的な思考には、得てしてノイズが生じやすいものだ。
 だから僕は、他人に興味を示さない。感情を移入させない。
 そうすることで、いつでも周囲から一歩離れた位置に立ち、広い視野で場の状況を常に見続けてきた。いつでも離れた位置にいたから、集団の輪の中に入るようなことはなかったけれど、おかげで状況判断を誤ったことは、思い出せる記憶の中には一つもない。
 ある日、一人の超能力者に出会った。何でその人が超能力者だと分かるのかというと、自分でそう言ったからだ。全く揺るぎない確固たる口調で、私には超能力があります、と言い切った。
「どんな超能力を持っているんですか?」
 僕は訊いた。
「興味がおありですか?」
 彼はそう聞き返してきた。
「いえ、特には。ただ、本当にこの世に超能力があるのか、参考までに知りたいだけです」
「そういうのを、興味があると言うのではないですか?」
「自分の中にある常識を補正するための行為です。好奇心ではありません」
 別にこの人が本当に超能力者かどうかなんてことは、僕にとってはどうでもいい。僕は他人に興味は抱かない。あくまでも興味という言葉を用いるのであれば、適用するのは超能力の実在という一点においてのみ。この人自身のことは知ったことではない。
「物は言いようというやつですね。あなたの場合は、他人に興味を示してはいけないというルールを自分に課しているからそういう理屈が出るだけで、どちらの場合も内容に本質的な差はありませんよ。あなたは今、他人に興味を示しているのです」
「なぜ、そんなことが分かるんですか? 超能力ですか?」
 僕がそう聞くと、彼はわずかに微笑んだ。
「他人に興味のない人は、質問なんてしませんよ」
 僕が少し驚きの表情を見せると、彼はさらに笑顔になった。
「これが、私の持っている力です」
「……参考になりました」
 笑顔を崩さぬまま、それでは、と言って彼は去って行った。
 なるほど――たいした超能力者がいたものだ。
 しかし、一つだけ疑問が残る。
 彼の持つ超能力とは、いったいどちらを指していたのだろう?