パンドラの箱の中には、さまざまな災いが入っていたとされている。そして最後に残ったものは希望であったとされている。
 神々はパンドラに箱を渡すとき、この箱は絶対に開けるなと言って渡したそうだ。それは、開けてしまうとこの世界に数々の災いがもたらされてしまうから開けるなという意味で、そう言ったのだろうか。この世界に存在してはならない多くの災厄を、神々はその箱に封印したと考えれば、確かに開けるなとパンドラに命じたことは、合理的な意見だ。
 しかし、そもそもパンドラが箱を開けてしまったのは、好奇心に負けてしまったからだ。そしてその好奇心は、パンドラに箱を与えた神々が同時に彼女に好奇心を与えたからだとされている。
 神々はその時点で、パンドラが箱を開けてしまうであろうことを、予測しなかったのだろうか。普通に考えれば、そのことに気づかないはずはない。
 その観点からいくと、神々は箱の中に閉じ込めた数々の災いを初めからこの世に解き放つつもりだったと考えることもできる。それを承知で、パンドラに箱を持たせたと。正直なところ、こちらの考え方も非合理的とは言えない。
 ただ、どちらの考え方も一見すると合理的な反面、矛盾を含んでいないわけでもない。
 例えば、神々は箱を開けさせたくなかったとする。この場合は先にも述べた通り、災厄をこの世にばら撒きたくなかったことが理由として考えられるが、しかし箱の中には災厄の他に希望が入っていた。箱を開けたくなかったのなら、希望もこの世界に与えたくなかったということにもなる。
 逆に、希望というものをこの世に残したかったからこそ、あえてパンドラに好奇心を与えて箱を開けるようにうながした場合は、なぜわざわざ多くの災いも同じ箱の中に入れておいたのだろうかという疑問が残る。もっとも、パンドラは慌てて箱を閉じてしまい、希望だけは箱の中に残ったとされているが。
 神々的には、この世界が希望に満ちようが災いに満ちようが知ったことではないから、最終的にはパンドラの判断に一任しようという思いを込めて、こんな真似をしたのだろうか。それとも、この世は希望だけでは成り立たないし、また絶望だけでも成り立たない、どちらも必要だという考えから、こんな真似をしたのだろうか。あるいは、この世には希望も絶望も必要ない、だから全てを封印してしまおうと考えて、箱の中に全てを閉じ込めたのか。その場合、パンドラに好奇心を与えたのは箱とは関係なく、ただパンドラが自ら何かしらの行動を起こすための原動力として与えたということになる。
 どれが正解なのか、それともここまで挙げたいずれにも正解がないのかは、分からない。だが、一つだけ、はっきりと分かっていることがある。
 しょせん、神の考えることなど、我々人間には到底理解できない。