欠けた月
特にすることがなかったので、天気も良いし、公園で日向ぼっこでもしようと思った。のんびりとした時間は好きだ。想像するだけでも心が落ち着く。
でも公園に着いてすぐに見知った顔を発見したことで、僕の平穏は一気に消えた。
クラスメイトの女の子。仲は良くない。嫌いってわけではなくて、そもそも、好き嫌いを意識したことがなかった。気が強くて生意気な感じがして、ほとんど喋ったこともないのに、勝手に苦手意識を持っていたから、あまり近寄らないようにしていた。
彼女は、ベンチに座ってソフトクリームを食べていた。公園にはそれ一つしかベンチがない。そこに座って日向ぼっこしようと思っていたのに、どうしよう。
何事もなかったかのように引き返して家に帰ろうかとも思ったが、実行に移すよりも早く、彼女が僕に気づいてしまった。
「あんた、そんなとこで何やってんの?」
「……別に何も」
「あっそ」
素っ気ない。まあ、向こうも僕になんて興味ないだろうから、当然の反応か。
さてどうしようか。彼女がここにいる以上、のんびりなんて時間は訪れないだろうから、長居は無用だ。でももしかしたら、彼女はソフトクリームを食べる為にここに寄っただけで、食べ終われば出て行くかもしれない。それまで我慢すれば、あるいは……。
ただ、そうでなかった場合、いつまでもこんな風に突っ立っていたら、さっさと出て行けと怒られるかもしれない。
どうしようか迷って身動きが取れず、黙って彼女を見つめていると、彼女に睨み返された。
「……何?」
「あ、いや……」
「言いたいことがあるならはっきり言ったら?」
結局怒られた。
「言いたいことはっきり言えない人って嫌い。見ててイライラするから」
いかにも彼女らしい一言だ。
「じゃあお願いが……あ、いや」
ここで堂々と、のんびり日向ぼっこしたいから出てってくれと言ったら、それはそれで怒られるだろう。はっきり言えとは言われたけど、何を言っても許されるという意味ではない。
「お願いって何?」
「何でもない」
「はあ? 何か頼み事があんでしょ? だったら言いなさいよ」
「でも、たぶん無理なお願いだし」
「無理なお願いって何よ? 一億円貸してくれ、みたいなこと?」
「そんなんじゃないよ。全然たいしたことないお願いだけど……」
素直には聞いてもらえなさそうという意味だ。
「だったら言いなさいよ。あたしが人の頼みを聞けない奴だとでも思ってんの?」
正直思ってる。でもそれを口にしたら、やっぱり怒られるに違いない。
しかし僕が無言でいることを、肯定と受け取ったらしい。彼女の表情が益々不機嫌になった。
「ふざけんじゃないわよ。そんな風に思われるのは心外だわ。試しに言ってご覧なさいよ。どんな頼み事だって聞いてあげるから」
「……どんな頼みでも?」
「良いわよ。あたしが度量の広い女だってとこ、見せてあげようじゃない」
「じゃあ……」
その席を譲ってくれと言うつもりだったのに、どんな頼み事でも、という彼女の言葉に、少しだけ悪戯心が沸いたのかもしれない。僕の口は、意思とは別の言葉を発していた。
「……そのソフトクリーム、一口くれる?」
「えっ……?」
明らかに彼女が焦った。
でもそれ以上に、僕の方が焦った。
「あ、い、いや……今のなし」
いくらなんでも、そのお願いはないだろう。そもそも、別に欲しいわけじゃないから、良いと言われたところで困ってしまう。
これは、怒られる前に謝っといた方が良さそうだ。
そう思ったけれど、彼女の方が一歩早かった。
「べ、別に良いわよ!」
「は?」
「だーかーらー! そんなの余裕だっつってんの!」
顔と口調は明らかに怒っている。でも、僕の思っていたものとは違った。
「ほ、ほら! 食べなさいよ」
マイクを向けるように、彼女が僕の方にソフトクリームを差し出した。
「……えっと……」
あれか。気が強い上に負けず嫌いだから、ちょっとでも挑発すると、引っ込みがつかなくなってしまうのか。その結果がこれだと。
「早くしなさいよ。溶けちゃうでしょ!」
「あ、うん。じゃあ……」
差し向けられたソフトクリームに顔を近づけ、パクリと一口。
まあ、普通に美味しいバニラアイスだ。それ以上の感想は特にない。
「……ありがとう」
一応、お礼を言う。
「ど、どういたしまして!」
ソフトクリームを自分の方に戻し、彼女はふいっと横を向いた。
気まずい沈黙が流れる。
特に言うことが思いつかず、でもそれ以外の行動も取れず、僕はボーッと立ったまま、彼女をじっと見ていた。彼女も彼女で、横を向いたまま動かない。ソフトクリームを食べようとする気配もない。溶けるって言ったのは彼女の方なのに。
「……何よ」
横を向いたまま、彼女が言った。
「いや、溶けちゃうんじゃないかと思って」
「わ、分かってるわよ!」
そう言うものの、やはり食べようとしない。
心なしか、彼女の顔が少し赤らんでいるような気がする。今更ながら、怒りが顔に現れてきたんだろうか。それとも、挑発に乗ってしまったことを悔いているのだろうか。
しばらくその状態が続いたとき、僕はようやく理由に気づいた。
考えてみたら、これって、間接キスじゃないか。
……あれ?
何だろう。そんなことを思ったら、急にドキドキしてきた。
彼女のことなんて何とも思ってないはずなのに、なぜか顔が熱い。
「……もう一口、欲しい?」
彼女が僕の方を見て言った。
「え?」
「だーかーらー! もっと食べたいかって訊いてんの!」
「う……うん」
思わず頷いてしまった。
「だったらここ座ったら? いつまでもそんなとこ突っ立ってないで。そっちの方が食べやすいでしょ?」
言われるまま、彼女の隣に腰掛ける。
何でこんなことになったんだろう。
「ほ、ほら。どうぞ」
「あ、ありがとう……」
結局、残りのソフトクリームを、僕は半分もらってしまった。
それから何時間経ったのか。
気がついたら、外が暗くなっていた。一体どれだけの時間、僕たちは一言も交わさずに、ここに座っていたのだろう。
日向ぼっことしては、良い時間だったと思う。べらべら喋りながら日光を浴びるより、よっぽど良い。でも落ち着いた気分だったかと言われると、よく分からない。
空を見上げる。さっきまで見えていなかった月が顔を出していた。
今夜は満月だ。
「……月が綺麗だね」
「そうね」
数時間ぶりに聞く彼女の声には、満月のように、尖ったところが全くなかった。
「そろそろ、帰らなきゃね」
「……そうね」
そうは言ったものの、互いになかなか立ち上がろうとしなかった。ここを離れるのが惜しい。彼女もそんな風に思っているのだろうか。
更に数十分が過ぎた。
先に立ち上がったのは彼女だった。
「少し肌寒くなって来たわね。本当にそろそろ帰らなきゃ。ママに叱られちゃう」
僕は立たなかった。ベンチに座ったまま、月を見上げている。
「ちょっと、何を時化た顔してんのよ」
目の前の月が、彼女の顔に変わる。
「ほらぁ、シャキッとしなさいよ!」
彼女が僕の腕を引っ張って、強引に立たせた。
「月なんて明日だって見れるでしょ! 明後日だって、その次の日だって!」
「……一緒に?」
僕の呟きに一瞬だけハッとした表情を見せたものの、彼女は大きく頷いた。
「あ、当たり前でしょ! あたしたちは明日も明後日も一緒なんだから。ほら、帰るよ」
腕を彼女に掴まれたまま、僕は公園を後にした。
残念ながら、彼女の言葉は嘘だった。
次の日、彼女は学校に来なかった。先生の話では、親の仕事の都合だか何だかで、急に引っ越すことになってしまったらしい。
学校が終わり、一度家に帰って夕飯を食べてから、僕は公園に足を運んだ。
こんな時間だから誰もいない。もちろん、彼女も。
ベンチに座り、空を見上げる。
今日だってほぼ満月のはずなのに、今の僕には、月が酷く欠けて見えた。
月は、見る人の気分によって、姿を変えるのだろうか。
それならば、彼女には、今日の月はどんな風に見えているのだろうか。
僕と同じように欠けて見えているのか、それとも……。
でも公園に着いてすぐに見知った顔を発見したことで、僕の平穏は一気に消えた。
クラスメイトの女の子。仲は良くない。嫌いってわけではなくて、そもそも、好き嫌いを意識したことがなかった。気が強くて生意気な感じがして、ほとんど喋ったこともないのに、勝手に苦手意識を持っていたから、あまり近寄らないようにしていた。
彼女は、ベンチに座ってソフトクリームを食べていた。公園にはそれ一つしかベンチがない。そこに座って日向ぼっこしようと思っていたのに、どうしよう。
何事もなかったかのように引き返して家に帰ろうかとも思ったが、実行に移すよりも早く、彼女が僕に気づいてしまった。
「あんた、そんなとこで何やってんの?」
「……別に何も」
「あっそ」
素っ気ない。まあ、向こうも僕になんて興味ないだろうから、当然の反応か。
さてどうしようか。彼女がここにいる以上、のんびりなんて時間は訪れないだろうから、長居は無用だ。でももしかしたら、彼女はソフトクリームを食べる為にここに寄っただけで、食べ終われば出て行くかもしれない。それまで我慢すれば、あるいは……。
ただ、そうでなかった場合、いつまでもこんな風に突っ立っていたら、さっさと出て行けと怒られるかもしれない。
どうしようか迷って身動きが取れず、黙って彼女を見つめていると、彼女に睨み返された。
「……何?」
「あ、いや……」
「言いたいことがあるならはっきり言ったら?」
結局怒られた。
「言いたいことはっきり言えない人って嫌い。見ててイライラするから」
いかにも彼女らしい一言だ。
「じゃあお願いが……あ、いや」
ここで堂々と、のんびり日向ぼっこしたいから出てってくれと言ったら、それはそれで怒られるだろう。はっきり言えとは言われたけど、何を言っても許されるという意味ではない。
「お願いって何?」
「何でもない」
「はあ? 何か頼み事があんでしょ? だったら言いなさいよ」
「でも、たぶん無理なお願いだし」
「無理なお願いって何よ? 一億円貸してくれ、みたいなこと?」
「そんなんじゃないよ。全然たいしたことないお願いだけど……」
素直には聞いてもらえなさそうという意味だ。
「だったら言いなさいよ。あたしが人の頼みを聞けない奴だとでも思ってんの?」
正直思ってる。でもそれを口にしたら、やっぱり怒られるに違いない。
しかし僕が無言でいることを、肯定と受け取ったらしい。彼女の表情が益々不機嫌になった。
「ふざけんじゃないわよ。そんな風に思われるのは心外だわ。試しに言ってご覧なさいよ。どんな頼み事だって聞いてあげるから」
「……どんな頼みでも?」
「良いわよ。あたしが度量の広い女だってとこ、見せてあげようじゃない」
「じゃあ……」
その席を譲ってくれと言うつもりだったのに、どんな頼み事でも、という彼女の言葉に、少しだけ悪戯心が沸いたのかもしれない。僕の口は、意思とは別の言葉を発していた。
「……そのソフトクリーム、一口くれる?」
「えっ……?」
明らかに彼女が焦った。
でもそれ以上に、僕の方が焦った。
「あ、い、いや……今のなし」
いくらなんでも、そのお願いはないだろう。そもそも、別に欲しいわけじゃないから、良いと言われたところで困ってしまう。
これは、怒られる前に謝っといた方が良さそうだ。
そう思ったけれど、彼女の方が一歩早かった。
「べ、別に良いわよ!」
「は?」
「だーかーらー! そんなの余裕だっつってんの!」
顔と口調は明らかに怒っている。でも、僕の思っていたものとは違った。
「ほ、ほら! 食べなさいよ」
マイクを向けるように、彼女が僕の方にソフトクリームを差し出した。
「……えっと……」
あれか。気が強い上に負けず嫌いだから、ちょっとでも挑発すると、引っ込みがつかなくなってしまうのか。その結果がこれだと。
「早くしなさいよ。溶けちゃうでしょ!」
「あ、うん。じゃあ……」
差し向けられたソフトクリームに顔を近づけ、パクリと一口。
まあ、普通に美味しいバニラアイスだ。それ以上の感想は特にない。
「……ありがとう」
一応、お礼を言う。
「ど、どういたしまして!」
ソフトクリームを自分の方に戻し、彼女はふいっと横を向いた。
気まずい沈黙が流れる。
特に言うことが思いつかず、でもそれ以外の行動も取れず、僕はボーッと立ったまま、彼女をじっと見ていた。彼女も彼女で、横を向いたまま動かない。ソフトクリームを食べようとする気配もない。溶けるって言ったのは彼女の方なのに。
「……何よ」
横を向いたまま、彼女が言った。
「いや、溶けちゃうんじゃないかと思って」
「わ、分かってるわよ!」
そう言うものの、やはり食べようとしない。
心なしか、彼女の顔が少し赤らんでいるような気がする。今更ながら、怒りが顔に現れてきたんだろうか。それとも、挑発に乗ってしまったことを悔いているのだろうか。
しばらくその状態が続いたとき、僕はようやく理由に気づいた。
考えてみたら、これって、間接キスじゃないか。
……あれ?
何だろう。そんなことを思ったら、急にドキドキしてきた。
彼女のことなんて何とも思ってないはずなのに、なぜか顔が熱い。
「……もう一口、欲しい?」
彼女が僕の方を見て言った。
「え?」
「だーかーらー! もっと食べたいかって訊いてんの!」
「う……うん」
思わず頷いてしまった。
「だったらここ座ったら? いつまでもそんなとこ突っ立ってないで。そっちの方が食べやすいでしょ?」
言われるまま、彼女の隣に腰掛ける。
何でこんなことになったんだろう。
「ほ、ほら。どうぞ」
「あ、ありがとう……」
結局、残りのソフトクリームを、僕は半分もらってしまった。
それから何時間経ったのか。
気がついたら、外が暗くなっていた。一体どれだけの時間、僕たちは一言も交わさずに、ここに座っていたのだろう。
日向ぼっことしては、良い時間だったと思う。べらべら喋りながら日光を浴びるより、よっぽど良い。でも落ち着いた気分だったかと言われると、よく分からない。
空を見上げる。さっきまで見えていなかった月が顔を出していた。
今夜は満月だ。
「……月が綺麗だね」
「そうね」
数時間ぶりに聞く彼女の声には、満月のように、尖ったところが全くなかった。
「そろそろ、帰らなきゃね」
「……そうね」
そうは言ったものの、互いになかなか立ち上がろうとしなかった。ここを離れるのが惜しい。彼女もそんな風に思っているのだろうか。
更に数十分が過ぎた。
先に立ち上がったのは彼女だった。
「少し肌寒くなって来たわね。本当にそろそろ帰らなきゃ。ママに叱られちゃう」
僕は立たなかった。ベンチに座ったまま、月を見上げている。
「ちょっと、何を時化た顔してんのよ」
目の前の月が、彼女の顔に変わる。
「ほらぁ、シャキッとしなさいよ!」
彼女が僕の腕を引っ張って、強引に立たせた。
「月なんて明日だって見れるでしょ! 明後日だって、その次の日だって!」
「……一緒に?」
僕の呟きに一瞬だけハッとした表情を見せたものの、彼女は大きく頷いた。
「あ、当たり前でしょ! あたしたちは明日も明後日も一緒なんだから。ほら、帰るよ」
腕を彼女に掴まれたまま、僕は公園を後にした。
残念ながら、彼女の言葉は嘘だった。
次の日、彼女は学校に来なかった。先生の話では、親の仕事の都合だか何だかで、急に引っ越すことになってしまったらしい。
学校が終わり、一度家に帰って夕飯を食べてから、僕は公園に足を運んだ。
こんな時間だから誰もいない。もちろん、彼女も。
ベンチに座り、空を見上げる。
今日だってほぼ満月のはずなのに、今の僕には、月が酷く欠けて見えた。
月は、見る人の気分によって、姿を変えるのだろうか。
それならば、彼女には、今日の月はどんな風に見えているのだろうか。
僕と同じように欠けて見えているのか、それとも……。