IN MY DREAM
意識不明の重体になるほどの事故に遭い、僕はしばらくの間体を動かすことができなかった。どれだけの事故だったかは、意識を取り戻すまでの時間の長さが物語っている。正直、命があるのが不思議なくらいだ。
意識は取り戻したけど、僕にとっては苦痛の日々だった。大好きなドラムを叩くことができなかったから。
でも最近、少しだけ体を動かせるようになって、リハビリ代わりにドラムを叩くようになった。正確には、ドラムを叩く真似事をするようになった、か。要するに、エアドラムというやつだ。本当に激しくドラムを叩いてしまうとリハビリどころか動けない体に逆戻りしかねないと、医者からきつく言われている。だから動きだけを軽めに、スティックも持つフリだけで、演奏気分に浸る。音は脳内再生。
一ヶ月くらいそんなリハビリ生活を続けていたら、不思議なことが起こり始めた。
シャドーボクシングというものが、この世にはある。実際には一人だが、あたかも対戦相手が目の前にいるかのようにボクシングを行うというもの。レベルの高いシャドーボクシングになると、ほぼ漫画の世界になるが、本当に相手と対戦しているようになるらしい。パンチが当たる感触が、相手のパンチの重みが、リアルに、自分の体に伝わる。そういう境地が存在するらしい。
今の僕も、まさにそんな感じだった。
スティックも持っていないし、スネアもシンバルもタムもない。それなのに、実際にドラムを叩いている感触が、確かに伝わって来る。毎日何時間もエアドラムをしていたおかげで、いつの間にか僕も、一流のプロボクサーのような境地に達していたのかもしれない。
それは、素直に嬉しいことだった。
ドラムを叩くのは本当に楽しい。あの感触が、何よりも心地良かった。あの時の感触をこうして味わうことができるのだから、嬉しくないはずがない。
しかし、嬉しさはそれだけに留まらなかった。
音が、聞こえ始めたのだ。
脳内再生のレベルではない。自分の耳にはっきりと、ドラムを叩いた時の音が、確かに聞こえて来る。耳をつんざくクラッシュシンバルの音も、腹の底を刺激するバスドラムの音も、軽快なスネアの音も、はっきりと聞こえる。
エアドラムの一段階上の、さらにその上の境地にまで、達したのだろうか。
僕は朝から晩までエアドラムを続けた。実際のドラムを叩いている時と同じだけの疲労感があるから、そのうち医者の先生に怒られるかもしれない。でも、やめることができなかった。それだけ、僕はドラムの演奏が好きだったのだ。
ある日、リハビリをかねた散歩で、僕は病院の近くの公園に足を運んだ。
最近は、あまり遠くでなければ散歩も許可されている。あまり遠くでない、という条件がついているから、およそこの公園辺りが行動半径の最大値だ。
今日は天気が良いから、公園にもたくさんの人がいた。子連れのお母さん、近所の小学生、日向ぼっこをしているおばあさん、などなど。
僕はベンチに座って、子供たちの元気に遊び回る姿をうらやましさ半分でずっと眺めていたが、ふと思い立って、エアドラムを始めてみた。何となく確かめてみたいことがあったからだ。
ハイハットシンバルとスネアで、エイトビートを刻む。最初は小さく、徐々に大きく。
予想は当たった。
僕がエアドラムを始めた途端、みんなの視線がほぼ同時に集まった。
散歩中の老人も、元気に遊び回っていた子どもたちも、井戸端会議のように歓談していた婦人たちも、みんな足を止め会話を止め、僕の方を見た。
今はまだ、そこまで目立つ動きをしているわけではない。それにもかかわらず、みんなが一斉にこっちを見た。
考えられる理由はただ一つ。
みんなにも、このドラムの音が聞こえているのだ。
エアドラムの究極形。それは、まさにこれではないだろうか。
ドラムがないのに、実際にドラムを叩く感触があり、しかもその音を、周囲の人間に伝えることができる。超能力者にでもなった気分だ。
演奏が終わったら、みんなが拍手をしてくれた。誰も言葉は発していなかったけど、素晴らしい演奏だ、ブラボーと言われているような気がして、僕は嬉しかった。
それから僕はもう一曲披露した。さっきはただ思いついたリズムを適当に演奏しただけだったが、今度は曲に乗せてドラムを叩く。もちろん曲は脳内再生。
みんなには、ドラムの音以外も伝わっているだろうか。伝わっていると良いな。
僕は無性に本物のドラムが叩きたくなった。エアドラムも良いけど、やっぱり生の演奏が一番だ。
もっとリハビリを頑張ろう。そしてドラムを叩けるようになったら、またあのメンバーとライブをやろう。
エアドラムを見て喜んでくれている人たちを見回しながら、僕はそう心に誓った。
「……ん? なあ、今こいつ、笑わなかったか?」
「気のせいだろ? 医者の先生も、まだ当分は意識が戻らないだろうって言ってたし」
「意識不明の間って、夢は見るのかな?」
「さあ……どうだろ」
「何か楽しい夢でも見てるのかもしれないな。ライブで最高に盛り上がってる夢とか」
「こいつのドラムは最高だからな。あ~、またみんなで、ライブやりたいよなぁ」
「やれるさ、きっと。なあ?」
彼は何も答えなかった。ただ、かすかに笑ったような、そんな気がした。
意識は取り戻したけど、僕にとっては苦痛の日々だった。大好きなドラムを叩くことができなかったから。
でも最近、少しだけ体を動かせるようになって、リハビリ代わりにドラムを叩くようになった。正確には、ドラムを叩く真似事をするようになった、か。要するに、エアドラムというやつだ。本当に激しくドラムを叩いてしまうとリハビリどころか動けない体に逆戻りしかねないと、医者からきつく言われている。だから動きだけを軽めに、スティックも持つフリだけで、演奏気分に浸る。音は脳内再生。
一ヶ月くらいそんなリハビリ生活を続けていたら、不思議なことが起こり始めた。
シャドーボクシングというものが、この世にはある。実際には一人だが、あたかも対戦相手が目の前にいるかのようにボクシングを行うというもの。レベルの高いシャドーボクシングになると、ほぼ漫画の世界になるが、本当に相手と対戦しているようになるらしい。パンチが当たる感触が、相手のパンチの重みが、リアルに、自分の体に伝わる。そういう境地が存在するらしい。
今の僕も、まさにそんな感じだった。
スティックも持っていないし、スネアもシンバルもタムもない。それなのに、実際にドラムを叩いている感触が、確かに伝わって来る。毎日何時間もエアドラムをしていたおかげで、いつの間にか僕も、一流のプロボクサーのような境地に達していたのかもしれない。
それは、素直に嬉しいことだった。
ドラムを叩くのは本当に楽しい。あの感触が、何よりも心地良かった。あの時の感触をこうして味わうことができるのだから、嬉しくないはずがない。
しかし、嬉しさはそれだけに留まらなかった。
音が、聞こえ始めたのだ。
脳内再生のレベルではない。自分の耳にはっきりと、ドラムを叩いた時の音が、確かに聞こえて来る。耳をつんざくクラッシュシンバルの音も、腹の底を刺激するバスドラムの音も、軽快なスネアの音も、はっきりと聞こえる。
エアドラムの一段階上の、さらにその上の境地にまで、達したのだろうか。
僕は朝から晩までエアドラムを続けた。実際のドラムを叩いている時と同じだけの疲労感があるから、そのうち医者の先生に怒られるかもしれない。でも、やめることができなかった。それだけ、僕はドラムの演奏が好きだったのだ。
ある日、リハビリをかねた散歩で、僕は病院の近くの公園に足を運んだ。
最近は、あまり遠くでなければ散歩も許可されている。あまり遠くでない、という条件がついているから、およそこの公園辺りが行動半径の最大値だ。
今日は天気が良いから、公園にもたくさんの人がいた。子連れのお母さん、近所の小学生、日向ぼっこをしているおばあさん、などなど。
僕はベンチに座って、子供たちの元気に遊び回る姿をうらやましさ半分でずっと眺めていたが、ふと思い立って、エアドラムを始めてみた。何となく確かめてみたいことがあったからだ。
ハイハットシンバルとスネアで、エイトビートを刻む。最初は小さく、徐々に大きく。
予想は当たった。
僕がエアドラムを始めた途端、みんなの視線がほぼ同時に集まった。
散歩中の老人も、元気に遊び回っていた子どもたちも、井戸端会議のように歓談していた婦人たちも、みんな足を止め会話を止め、僕の方を見た。
今はまだ、そこまで目立つ動きをしているわけではない。それにもかかわらず、みんなが一斉にこっちを見た。
考えられる理由はただ一つ。
みんなにも、このドラムの音が聞こえているのだ。
エアドラムの究極形。それは、まさにこれではないだろうか。
ドラムがないのに、実際にドラムを叩く感触があり、しかもその音を、周囲の人間に伝えることができる。超能力者にでもなった気分だ。
演奏が終わったら、みんなが拍手をしてくれた。誰も言葉は発していなかったけど、素晴らしい演奏だ、ブラボーと言われているような気がして、僕は嬉しかった。
それから僕はもう一曲披露した。さっきはただ思いついたリズムを適当に演奏しただけだったが、今度は曲に乗せてドラムを叩く。もちろん曲は脳内再生。
みんなには、ドラムの音以外も伝わっているだろうか。伝わっていると良いな。
僕は無性に本物のドラムが叩きたくなった。エアドラムも良いけど、やっぱり生の演奏が一番だ。
もっとリハビリを頑張ろう。そしてドラムを叩けるようになったら、またあのメンバーとライブをやろう。
エアドラムを見て喜んでくれている人たちを見回しながら、僕はそう心に誓った。
「……ん? なあ、今こいつ、笑わなかったか?」
「気のせいだろ? 医者の先生も、まだ当分は意識が戻らないだろうって言ってたし」
「意識不明の間って、夢は見るのかな?」
「さあ……どうだろ」
「何か楽しい夢でも見てるのかもしれないな。ライブで最高に盛り上がってる夢とか」
「こいつのドラムは最高だからな。あ~、またみんなで、ライブやりたいよなぁ」
「やれるさ、きっと。なあ?」
彼は何も答えなかった。ただ、かすかに笑ったような、そんな気がした。