心の扉
この部屋には、鍵がかかっている。
見たことはないけれど、きっと、南京錠のような鍵なのだろう。鍵は外からかけられているので、こちらから開けることはできない。
だから私は、ずっとこの部屋の中にいる。
いつも独りぼっち。
この部屋から出る方法を、私は知らない。
――いや。
鍵さえ開けば、この部屋から出られる。私が知らないのは、その鍵を開ける方法だ。中から開ける方法は皆無だし、いずれ誰かが鍵を開けてくれるといったような、そんな絶望的確率の希望的観測が実を結ぶことなんて、たぶんありえない。
そもそも、鍵を持っているのは誰なのだろうか。それすらも、私は知らない。
きっと私は、ずっと独りのままで、消えていくのだろう。独りなのだから、私が消えてなくなったところで、周りには何の影響もない。むしろ、いてもいなくても同じ存在なのだから、さっさと消えてしまえばいいのにとさえ思うことがある。
でも、私は未だに消えることなく、ここにいる。おそらく、一縷の望みにすがろうとしている自分がいるからだ。ありえないと思いながらも、あって欲しいと願う。
確率は問題じゃない。溺れているところに藁が差し出された時、いちいち電卓を弾いたりはしない。そんなものでは割り切れない意思が、藁を掴ませる。
希望なんて、そんなものだ。
この部屋には、窓がある。
ときどき窓の外を眺めることがある。
外の世界はとても広くて、明るい。
みんな、独りじゃない。笑顔を向ける相手がいて、笑顔を向けてくれる相手がいる。
そんなみんながうらやましいなと思うことがある。私には、そんな相手はいない。みんなの笑顔は私に向けられたものじゃないし、私が笑顔を見せたところで、それが誰かに届くわけでもない。
みんなが楽しそうにしているところを見ると、外に出てみたいという気持ちが強くなる。
きっとそれも、私が消えずにいる理由の一つなのだ。
出られるか出られないかではなく、出たい。その渇望が、私を生かし続ける。
やっぱりそれも、確率の問題じゃない。
根底にある、執着心。
どんなに消したいと願っても、生きている限りは、絶対に消えないもの。逆に言えば、もし消えてなくなったとしたら、それは同時に命も消えてなくなるということだ。
それがなくならない限り、人は生き続ける。
もちろん私も、例外じゃない。
「出たいなら、出ればいいのに」
「……え?」
窓の外から声が聞こえた。窓越しに話しかけられるなんて、初めてだ。
視線を向けると、そこには知らない人の顔があった。
「あなたは、誰?」
「出たいなら、出ればいいのに。どうして出ないの?」
その人は、私の質問に答えない代わりに、もう一度同じことを言った。
「だって、鍵がかかってるから……」
出たくても出られないのだ。外側から施錠されてしまっている以上、自力では外には出られない。
「どうしてそう思うの?」
窓の向こうにいる人は、不思議そうに首をかしげた。
「どうしてって……」
「確かめたことないんでしょ? 出たことがないのに、外に鍵がかかってるかどうかなんて、確かめられないものね。ドアを開けようとしたことすらないでしょ?」
「な、なんで……」
そんなことまで知っているのだろう。
確かに私は、ドアを開けようと思ったことがない。でもそれは、鍵がかかっているせいで、開けようと思っても開かないと判断したからだ。外から鍵がかけられているのに、中からドアを開けようとするのは、無駄な行為だ。
「それは、ただの思い込みよ」
「思い込み?」
「あなたは鍵がかかっていると思い込んでいただけ。実際は鍵なんてかかっていない。外に出ようと思えば、いつでも外に出られたのよ」
「じゃあ……」
本当は開けられたのに、開かないと勝手に思い込んでずっと独りで塞ぎ込んでいた今までこそが、無駄な行為だったというのだろうか。
「心の扉に鍵なんてないわ。今まで開かなかったのは、ただあなたが心を閉ざしていただけよ。自分の気持ち一つで、心はいつでも開くわ」
そう言って、その人は穏やかな笑みを私に向けた。
他の誰でもない、私に向けられた笑顔。
初めて味わう感覚に、私は戸惑った。
「ほら、あなたも笑ってごらん」
「でも……」
「大丈夫。私に届くから、不安にならないで」
私は、初めて人に笑顔を向けた。
受け止めてくれる人がいる。そのことがとても嬉しかった。
「もう大丈夫そうね」
真夏のひまわりのような笑みを保ったまま、その人が言った。
「次は、外で会いましょう。待ってるからね」
それだけ言い残すと、私の挨拶を待たずに、その人は窓の前から去って行ってしまった。
「……ありがとう」
ドアの鍵は、あの人が持っていたんだ。
あの人は、鍵なんて最初からかかっていないと言った。でも、それは今の私にはどうでもいいこと。あの人のおかげで、ドアを開けて外に出られる。私からすれば、あの人が鍵を開けてくれたも同然だ。
「うん!」
精一杯の笑顔を作ってみる。
誰も受け止めてくれる人はいないけれど、今はそれで十分だ。
大きく深呼吸をして、私はゆっくりとドアに向かって歩き出した。
見たことはないけれど、きっと、南京錠のような鍵なのだろう。鍵は外からかけられているので、こちらから開けることはできない。
だから私は、ずっとこの部屋の中にいる。
いつも独りぼっち。
この部屋から出る方法を、私は知らない。
――いや。
鍵さえ開けば、この部屋から出られる。私が知らないのは、その鍵を開ける方法だ。中から開ける方法は皆無だし、いずれ誰かが鍵を開けてくれるといったような、そんな絶望的確率の希望的観測が実を結ぶことなんて、たぶんありえない。
そもそも、鍵を持っているのは誰なのだろうか。それすらも、私は知らない。
きっと私は、ずっと独りのままで、消えていくのだろう。独りなのだから、私が消えてなくなったところで、周りには何の影響もない。むしろ、いてもいなくても同じ存在なのだから、さっさと消えてしまえばいいのにとさえ思うことがある。
でも、私は未だに消えることなく、ここにいる。おそらく、一縷の望みにすがろうとしている自分がいるからだ。ありえないと思いながらも、あって欲しいと願う。
確率は問題じゃない。溺れているところに藁が差し出された時、いちいち電卓を弾いたりはしない。そんなものでは割り切れない意思が、藁を掴ませる。
希望なんて、そんなものだ。
この部屋には、窓がある。
ときどき窓の外を眺めることがある。
外の世界はとても広くて、明るい。
みんな、独りじゃない。笑顔を向ける相手がいて、笑顔を向けてくれる相手がいる。
そんなみんながうらやましいなと思うことがある。私には、そんな相手はいない。みんなの笑顔は私に向けられたものじゃないし、私が笑顔を見せたところで、それが誰かに届くわけでもない。
みんなが楽しそうにしているところを見ると、外に出てみたいという気持ちが強くなる。
きっとそれも、私が消えずにいる理由の一つなのだ。
出られるか出られないかではなく、出たい。その渇望が、私を生かし続ける。
やっぱりそれも、確率の問題じゃない。
根底にある、執着心。
どんなに消したいと願っても、生きている限りは、絶対に消えないもの。逆に言えば、もし消えてなくなったとしたら、それは同時に命も消えてなくなるということだ。
それがなくならない限り、人は生き続ける。
もちろん私も、例外じゃない。
「出たいなら、出ればいいのに」
「……え?」
窓の外から声が聞こえた。窓越しに話しかけられるなんて、初めてだ。
視線を向けると、そこには知らない人の顔があった。
「あなたは、誰?」
「出たいなら、出ればいいのに。どうして出ないの?」
その人は、私の質問に答えない代わりに、もう一度同じことを言った。
「だって、鍵がかかってるから……」
出たくても出られないのだ。外側から施錠されてしまっている以上、自力では外には出られない。
「どうしてそう思うの?」
窓の向こうにいる人は、不思議そうに首をかしげた。
「どうしてって……」
「確かめたことないんでしょ? 出たことがないのに、外に鍵がかかってるかどうかなんて、確かめられないものね。ドアを開けようとしたことすらないでしょ?」
「な、なんで……」
そんなことまで知っているのだろう。
確かに私は、ドアを開けようと思ったことがない。でもそれは、鍵がかかっているせいで、開けようと思っても開かないと判断したからだ。外から鍵がかけられているのに、中からドアを開けようとするのは、無駄な行為だ。
「それは、ただの思い込みよ」
「思い込み?」
「あなたは鍵がかかっていると思い込んでいただけ。実際は鍵なんてかかっていない。外に出ようと思えば、いつでも外に出られたのよ」
「じゃあ……」
本当は開けられたのに、開かないと勝手に思い込んでずっと独りで塞ぎ込んでいた今までこそが、無駄な行為だったというのだろうか。
「心の扉に鍵なんてないわ。今まで開かなかったのは、ただあなたが心を閉ざしていただけよ。自分の気持ち一つで、心はいつでも開くわ」
そう言って、その人は穏やかな笑みを私に向けた。
他の誰でもない、私に向けられた笑顔。
初めて味わう感覚に、私は戸惑った。
「ほら、あなたも笑ってごらん」
「でも……」
「大丈夫。私に届くから、不安にならないで」
私は、初めて人に笑顔を向けた。
受け止めてくれる人がいる。そのことがとても嬉しかった。
「もう大丈夫そうね」
真夏のひまわりのような笑みを保ったまま、その人が言った。
「次は、外で会いましょう。待ってるからね」
それだけ言い残すと、私の挨拶を待たずに、その人は窓の前から去って行ってしまった。
「……ありがとう」
ドアの鍵は、あの人が持っていたんだ。
あの人は、鍵なんて最初からかかっていないと言った。でも、それは今の私にはどうでもいいこと。あの人のおかげで、ドアを開けて外に出られる。私からすれば、あの人が鍵を開けてくれたも同然だ。
「うん!」
精一杯の笑顔を作ってみる。
誰も受け止めてくれる人はいないけれど、今はそれで十分だ。
大きく深呼吸をして、私はゆっくりとドアに向かって歩き出した。