サオリとカズマ

「おい、カズマ」
「……んあ?」
 名前を呼ぶと、誰が聞いても分かるほどの寝惚けた声で、返事が来た。
 今の今まで、完全に夢の中だったようだ。まあ、カズマが授業中に寝ているのは、いつものことだ。休み時間になっても机に突っ伏したまま、起きる様子も全くなしに次の授業に突入する方が、休み時間に起きている回数の何倍も多い。
 因みに、今日の授業はもう終了。つまり、今は放課後だ。それでも、カズマは一向に起きる気配もなく、いつものように机に突っ伏していた。
 この人は、家では全然寝てないのだろうか。
「あぁ……もう授業終わったのか」
「……よだれが垂れてるよ」
「おっといけない」
 カズマは服の袖でよだれを拭った。
「で、どうした、サオリ?」
「いや、どうしたもこうしたも、もう放課後なんだから、いつまでも寝てないで帰るよ」
「ああ、それで起こしてくれたんだね」
 今日もよく寝たなぁ、と言って、カズマは大きく伸びをした。
 確かによく寝てたよ。午前の授業だって、起きてたのは体育だけだったし。もしかしたら体育の授業だって、走りながら寝ていたかもしれない。カズマならやりかねない。
「よし、じゃあ帰ろう」
 そう言いながらカズマが立ち上がり、右手で首を押さえた。
「……首が疲れてる」
 ずっと机に突っ伏して寝ていたんだから、無理もない。

 昇降口を一歩出ると、冷たい風が僕達を包み込んだ。
「うぅ……寒いなぁ」
 カズマがコートのポケットに両手を入れた。
 真冬なんだから、これだけ寒いのは当然だ。コートもマフラーも、外から吹きつける風の侵入を防ぐことはできても、内部から体を温めてはくれない。
 カズマと僕は、帰る方向が一緒だ。そして二人とも部活に入っていないので、授業が終わったらいつも途中まで一緒に帰る。一緒に帰るようになったのは、クラスが一緒になった今年度からだけど、そもそもクラスが一緒になるまではカズマのことなど全く知らなかった。でも新学期が始まってすぐの席替えでカズマと隣になったことで、会話をする機会にも恵まれ、すぐに仲良くなり、一緒に下校するようにもなった。
 今では、クラスで一番仲の良い存在と言える。
「……受験もそろそろだね。ちゃんと勉強してる? 志望校、結構危ういんだろ?」
「そう言うカズマだって、ちゃんと勉強してるようには見えないけど」
 授業中では起きていることが珍しいのがカズマだ。ちゃんと勉強をしているとはお世辞にも言えない。
 ところが、そんな寝てばかりいるくせに、カズマの成績は断トツだ。家でどれだけ真面目に勉強しているのかは知らないけど、カズマの成績で入れない高校はない。
「受験が近いってことは、卒業も近いってことだね」
 はぁ、とカズマが大きく息を吐いた。白い吐息が大気に溶けていく。
「サオリとこうして一緒に帰るのも、あとちょっとか」
「うん……」
 僕達は、目指す高校が違う。
 ちゃんと志望校に受かるかどうかは別として、高校に入ってから僕達がこうして一緒に下校したり、同じクラスになることは、残念ながらない。
「ちょっと寂しいな」
「僕もそうだよ」
「結局、サオリは最後まで、僕、だったね」
「いいじゃん、別に」
 カズマは、僕が自分のことを『僕』と呼ぶたびに、その一人称はどうなんだと言いたげな顔をする。何がそんなに気に入らないのか知らないけど、僕が自分のことをどう呼ぼうと、そんなことは僕の勝手だと思う。
 大体、社会に出たら男女関係なく、みんな自分のことを『私』と呼ぶようになる場面が多いんだから、今の内くらい、好きな呼び方を使わせてほしい。
 それから僕達は、いつものように当たり障りのない話をしながら歩き、いつものように同じ場所で別れた。
「それじゃ、また明日ね」
「うん」
 カズマはこっちに振り返ることもなく、サクサクと雪道を歩いて行く。
 僕は暫くの間、カズマの残した足跡を見つめていた。
 卒業――か。

 後になって振り返ると、時間なんてものはあっという間に過ぎてしまうもので、気づいたら受験も終わり、卒業式を迎えた。カズマや僕の受験した学校は私立で、合格発表が卒業式よりも早く、既に僕達は志望校の合格通知をもらっている。
 無事に卒業式も終わり、僕はいつものようにカズマと帰路に着こうとしていた。
「卒業しちゃったねぇ」
 卒業証書の入った筒で自分の頭をポンポンと叩きながら、他人事のようにカズマが言った。
「これで春からは別々の学校だね」
「サオリも、危うかった割に、ちゃんと志望校に合格したもんね。偉い偉い」
「まあ、それなりに勉強はしたつもりだから」
 自分自身、あんなに受験勉強に没頭するとは思わなかった。これが火事場の馬鹿力というものかもしれない。時間が経つのを早く感じたのも、きっとそれだけ勉強に集中していたということの証拠だろう。
「何にしても、あれだね」
 カズマが卒業証書の筒の先をこっちに向けた。
「これからは、僕っていうのは止めた方がいいと思うよ。男子校なんだから、周りは男だらけだろ? そんな弱々しい一人称を使ってると、いろいろと付け込まれちゃうよ」
 もしかしてカズマが、僕が自分のことを僕と呼ぶことを良しと思っていないのは、弱々しいという理由からだったんだろうか。『俺』なら付け込まれないとでも言うのか。
 いろいろ付け込まれるの、いろいろ、という部分が凄く気になるが、それは置いとこう。
「そういうカズマだって、通う高校って、あの超お嬢様学校なんだから、もっと女の子らしくした方がいいんじゃない?」
 カズマは、外見だけなら、お嬢様と言っても差し支えない、清楚な和風美人だ。でも、普段の言動は男っぽい。僕よりも男らしい気がする。
「ふ~ん……」
 カズマが目を細めた。何か企んでいる気がする。
「ま、いいけど」
 何か企んでいると思ったのは、僕の気のせいだったのかな。
「ねぇ、せっかくだから、あそこに名前でも残していかない?」
 カズマが、今度は筒の先を一本の木に向けた。
 あれは、この学校で一番大きな木だ。
「卒業記念に……ね?」
 最後の、ね、と言ったときのカズマがものすごく女の子らしく見えて、僕はちょっとドキッとした。
 卒業記念か――ありかも。
「うん、いいね。賛成」
 僕がそう言うと、カズマはにっこりと笑って、木に向かって駆け出した。
「じゃあ、あたしが先に書くよ」
 どこからともなく、カズマが彫刻刀を取り出した。
 カズマが名前を彫り終わったところで僕もその彫刻刀を借りて、カズマの名前の隣に自分の名前を彫った。
「よし……これでオッケー」
 僕達二人の名前が仲良く寄り添っている。

 佐織宏
 和馬花恵

 学校は離れ離れになっちゃうけど、これから先も、この名前のように、ずっと仲良く寄り添っていられたらいいなと、僕は思った。

植物の本音

しりとり