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 喜怒哀楽という四字熟語は、起承転結という四字熟語と似ている気がする。
 どちらも、一つの事象に対する一連の流れを忠実に表した言葉だ。
 似ている、という言い方は、もしかしたら的確ではないかもしれない。対応している、という表現の方が、正しいかもしれない。
 物事が始まり、流れを受け継ぎ、変遷が訪れて、一つの終わりに収束する。それが起承転結というものだ。
 だいたいの物事は、この起承転結の流れの中で、喜怒哀楽の感情の流れも同時に存在しているのではないだろうか。
 何か一つの物事に興味を持つ。興味を持ち始めたばかりの頃は、往々にして上達が早いものだから、自身でその成長が手に取るように分かる。そのことをとても喜ばしく思う。
 しかし、長くは続かない。どんなものでも、成長が加速し続けることはない。両者は常に反比例の関係にある。ある程度のレベルに達してしまったら、そこから先にはなかなか進めない。そのことに憤りを感じる。向上心の高い人ほど、自分自身に対する怒りは大きいだろう。
 その状態が長く続くと、感情に変化が生まれる。負の感情が大きくなる。それを続けることに意義を見出せず、諦めてしまおうかという気持ちも出て来る。諦めたくはない、しかしこのまま続けるのは精神的にも辛い。
 もしかしたら、他の事情で諦めざるを得ない場合も、あるかもしれない。一つの物事を長く続けていると、どうしても障害は出て来るものだ。
 精神的な理由にしろ、自分を取り巻く周囲の環境の問題にしろ、本当は諦めたくないと思っているのにそれを諦めないといけないと思っているときの哀しさと言ったらないだろう。しかし、そこで諦めず、苦難を乗り越えた先に待っているのは、そんな感情とは全く別のものに違いない。
 しかも、その苦難を乗り越えたときというのは、必ずといっていいほど大きな成長がそこに存在する。今までがむしゃらに頑張ってもなかなかレベルアップができなかったのに、ここに来て大きく飛躍する。それを実感できるのは、楽しいことだ。
 そうやって人は、起承転結と共に成長を繰り返していくのだろう。
 喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。
 そしてまた、次の喜びを探し求める。