死してなお

 昔、サースベルという人がいた。
 これと言って有名だったわけではない。特別大きな功績を残したわけでもない。
 ただ、彼の墓はちょっとした名物になっていた。
 彼の墓標には、八桁の数字が刻まれている。何の説明もない。ただ、八つの数字が横一線に並んでいるだけ。
 とりわけ数学者の間では、この話は有名だった。この八桁は何か重要な意味を秘めた暗号なのではないか、そんな噂が街中を飛び交っていた。普通なら、何だそりゃ、と一蹴されてもおかしくないその戯言がただの戯言で済まされなかったのは、そう考えている人の中には、数学者として世界的な権威とも言うべき人が何人か混じっていたからだ。
 長い年月をかけて、その八桁の数字は国を越え、大陸を越え、世界中の学者たちの目に留まることになった。
 こういう時は得てして、頭の良い人間ほど難しく考える。わずか八桁の数字に隠された秘密を解く為に、何万行もの計算を行い、解を得られずに、別の計算を試す。取り憑かれたように、来る日も来る日も八桁の数字とにらめっこを繰り返す。ノーベル賞やらフィールズ賞を受賞した学者たちが何人も、その数字の虜になり、振られていった。
 ある時、学者でも何でもない、テレビではよく見かける決して頭が良いとは言えない芸能人が、あれは西暦と月日を表しているんだろう、と言ったことがあった。本人は何気なく言ったつもりだったのだろうが、その一言は世界中に電流を走らせた。
 たぶん、多くの人間はそのことに薄々気づいていただろう。学者連中もまた然りだ。
 でも、気づかないようにしていたのだと思う。特に、半生をその数字に捧げてしまった人たちは、頭の片隅ではそのことを分かっていても、認められなかったに違いない。
 ちなみに、その八桁の数字が本当に年月日を表しているのだとして、その日に何か大きな出来事があったのかというと、特にない。サースベルの誕生日でもなければ命日でもなく、確かにその数字が表わす年月日は彼が生きていた間の日付になるが、その日、彼の身の周りで何か事件が起きたわけでもなく、ごく平凡な日だった。もちろん、世界規模で事件が起きていたなどという事実もない。
 だからこそ、学者はその数字を年月日とは思いたくなかったのだとも考えられる。何でもない日を墓石に刻むなど考えられない――と。
 そんな意地の張りも虚しく、学者たちの決死の努力は、残念ながら徒労に終わってしまった。八桁の数字は暗号でも何でもなく、それはただの年月日を表していたことが、後に分かってしまった。
 結果を知った学者たちはさぞショックだっただろう、あまりのショックに首を吊ってしまうかもしれない――と思いきや、これが全くの逆で、彼らは狂ったように歓喜の声を挙げていた。声で地球が震えるほどだった。
 どうしてそれがただの年月日を表しているのが分かったのかというと、今ではすっかり廃墟と化しているサースベルが生前住んでいた部屋の書庫から、一冊のノートが見つかったことがきっかけだった。
 それは生前にサースベルが残した直筆のノートだった。
 サースベルが数学に興味を持っていたという話は伝わっていない。しかし彼が生きていたのはもう何十年も前の話だ。伝わっていたとしても、今はそれを知る人はほとんどいないだろう。
 ノートには、円周率に関する考察が乗っていた。
 実は、円周率の数字の並びには法則がある。それも実に単純な公式で導き出すことができる。ノートにはそう書かれていた。実際に、その公式も載っていた。
 公式は完璧だった。世の数学者の実に十割が、その公式が間違っていないことを認めた。
 サースベルの墓標に刻まれていた八桁の数字は、彼がその法則を見つけた日だった。
 彼の功績は大きく取り上げられた。
 墓石に刻まれた八桁の数字はサースベル数と命名され、それ自体は何の役割も果たさない唯一の定数として、数学界に残された。
 現在、サースベル数が刻まれた彼の墓は、国宝として厳重に守られている。

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