ありそうでない話をありそうに語るオレ

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
「え〜、毎度お馴染み〜、ちり紙交換でーす」



僕が小さい頃は、廃品回収の軽トラが選挙カーのごとく、上のセリフをまき散らして町内を徘徊していたもんですが、最近じゃあまり聞くことがなくなったような気がします。

まあその代わり、リサイクル業者の声はときどき聞こえてきますけどね。

「ご不要になった〜、パソコン、コンポ、CDラジカセ、何でもお引き取りいたします」みたいな。実際にはもうちょっと、テレビとか冷蔵庫とかも言ってた気がする。

コンポはともかくCDラジカセって、何かもう、古代遺産っぽい位置づけになっちゃってるよね。ホンマにご不要になっている人が多そうやわ。



ところで、毎度お馴染みの「お馴染み」って、慣れ親しんでいるとか、そういう感じの意味ですよね。だから毎度お馴染みちり紙交換っつったら、「もうすっかり慣れ親しんでいるあなたの町のちり紙交換、ちり紙交換でございます。古紙、ダンボール、新聞、雑誌、何でも交換いたしますよー。あなたの古き一冊をよろしくお願いいたしまーす」みたいな意味ですよね。まるで選挙カーのようですね。

でもこれ、昔は違う字だったんですよ。

ずーっとずーっと昔、「おなじみ」という言葉は、「同地味」という字を書いていました。

最初はどんなに派手で珍しいものでも、何度も何度も同じものを見ているうちに「ああ……またか」と、飽きられてしまう。すっかり地味な存在になってしまう。

そういう意味として、おなじみという言葉は使われていました。

それがいつしか「馴染む」という言葉のちょっと丁寧な言い方に変わって現在に至るというわけです。

だから本来であれば、わざわざ「毎度おなじみ」なんて言い方しなくても、おなじみそれ自体に毎度っていう意味が含まれていたんですね。毎度おなじみって言い方は、マグカップみたいなもんだったんですね。

マグは英語でカップって意味なんだってさ。だからマグカップはカップカップってことだね。溺れちゃいそうだね。

たぶん、同地味って字が使われなくなった理由は、地味な存在っていう意味合いがどこかちょっとネガティブな印象を受けるから、もう少し柔らかい感じにしようということで、慣れ親しんでいる存在ってことで、お馴染みに変わったんじゃないですかねー。






っていう語源についての話を、昨日寝る前にふと思いついたんだけど、どうかな……?
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