二十年来の常識を今こそ覆す

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
確か左上の子は男の子だったような……

この記事を三行にまとめると

エビフライやエビ天は尻尾も食う
唐揚げに添えられたパセリも食う
縛られるなよ。そんな程度のことに
まず最初に、私がどういう人間であるのかを極めて簡潔にまとめると、以下のようになる。

・エビ天の尻尾は食べる派
・尻尾と身なら身の方が好き
・好きなものは後で食べる派

この条件から導き出されることは何か。

それは「エビ天を食べるなら尻尾から食べるべき」だ。

尻尾よりも身の方が好きで、好きなものを後にとっておくのだから、当然そういうことになる。先に尻尾を食べて、後からプリプリの身とサクサクの衣を味わうのが、僕という人間が取るべき行動であり、セオリーなのではないだろうか。ちなみにこれは、エビフライについても同じことが言える。僕はエビフライの尻尾も食べる派なので。

でも俺、もうこの世に生を受けて三十年以上、エビ天を食べ始めて恐らく二十年以上経つのに、今までずっと、尻尾を最後に食べてたよ。しかもそのことに全く疑問を持ってなかった……というか、尻尾を最後に食べると口の中に残る後味がいまいちなんだよなぁと思いつつも、まるでそれが抗えない運命であるかのように、何となくエビ天は身の方から食べるものだと無意識に決めつけていたよ。何でだろうね?

ついこの前、久しぶりに天丼を食べる機会がありましてね。その天丼にエビ天が乗ってたんですけど、そいつを箸でつかんだとき、尻尾の方がマイマウスに近かったもんで、特に意識してたわけではないんですけど、そのまま尻尾から食べたんですよ。

そのときに天啓が舞い降りて来たのよね。そういえば俺、何で今までルールであるかのごとく、毎度のように尻尾を最後に食べてたんだろうって。別に尻尾から先に食べたって、誰も怒らないはずなのに。尻尾食べることに否定派の人にはお小言を言われるかもしれないけど。

いやぁ、何と言うか……習慣って恐ろしいですね。あまりにも当たり前すぎることって、よーく考えてみるとツッコミどころがあるかもしれないのに、全くそのことに気づかないもんね。きっとこういうことって、身の回りにたくさんあるんでしょうね。

天っていう漫画で、原田も言ってましたよ。「縛られてるよな……これっぽっちのことでも……」って。靴をはかずに靴下のまま庭に出たときのセリフなんですがね。別に靴をはかずに庭に出たって良い。何でそれをしないのかって言うと、靴下が汚れるからとかそのまま廊下に戻って来たら廊下も汚れるからとか理由はあるけど、ぶっちゃけその程度のことだし、そんなの靴下についた汚れを払い落とせば済むことなのに、普通はそんなことしない。庭に出るときは靴をはくという行為に対して、僕らは何ら疑問を持たないわけよ。あまりにもそれが当たり前のことだから。まあ、他人の家にお邪魔したときにそんなことをやったら、普通に嫌がられたり怒られたりする可能性はあるけれど。

僕のエビ天やエビフライに対するこれはそこまで深い話ではないけど、でも「これはこういうもんだ」って思い込んでると、意識しないとそれを修正しようなんて考えすら浮かばないっていう点では、近いものがあるような気がしないでもない。今回の僕は「エビは身の方から食べるものだ」っていう思い込みが、ずっと無意識下にあったわけっすね。その認識を疑いもしなかった。






そういうわけなので、次にエビ天を食べる機会に恵まれたときは、堂々と尻尾からかぶりついてやろうと思います。そして周りの人がもし尻尾を残していたら、そいつもすかさずいただいてやろうと思います。もしそのとき「人の残した尻尾を食うってお前変わってんな。普通そんなことしないぜ? ちょっと引くわー」って言われたら、言い返してやるんです。「縛られるなよ。そんな程度のことに」って。

ちなみに僕は、みんなで居酒屋とか行ったときに出てくる唐揚げに添えられたパセリとかも、こっそり食っちゃう方です。どうせ誰も食べないし。
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