この記事を三行にまとめると
福引は100%の確率で福を引けるのか?地獄の鬼すら反吐吐く所業
福引は元々、お餅を引っ張り合うものでした
綱引き・・・二つのチームが互いに綱を引き合う競技。100%の確率で綱を引いている。
くじ引き・・・くじを引いて運勢を占ったり、何か商品をもらったりする。100%の確率でくじを引いている。
割引・・・商品の価格が定価よりも安くなる。2割引だったら100%の確率で20%価格を値引いている。
ドン引き・・・とにかく引いている。100%の確率で100%引いている。
以上のような前提からいくと、「〇〇引き」っていうのは、とりあえず100%の確率で何かを引いている様子を指すことになる。
となると、福引も100%の確率で福を引けなければいけないのではないだろうか。ここで言う福っていうのは、幸福、みたいな意味を表す。つまり100%の確率で幸福な何かが引けるのが、福引なのではないだろうか。
でも残念ながら福引には、残念賞というのがある。ポケットティッシュなどの粗品がもらえる場合が多い。
もし福引というものが100%の確率で福を引けるのなら、残念賞のようないわゆるハズレは、あってはならないのではないだろうか。
くじ引きにもハズレはある。でも当たりだろうとハズレだろうと、「くじを引く」という行為は必ず行われるので、100%の確率でくじを引くという定義には矛盾しない。
でも福引となると、話が違ってきちゃうのだ。残念賞でポケットティッシュをもらうという、福を引けない結果に終わることがある。
果たしてこれは許されるのか? 福を引けると謳っておきながら福を引けないことがあるなんて、地獄の鬼すら反吐吐く所業なのではないだろうか……?
なーんてことをちょっと思ったりなんかしてたんですけどね。
のんのんびよりという漫画の6巻を読んでたら、デパートで福引をするシーンがあったんですよ。そこでれんちょんという小学一年生の女の子が残念賞を引いてしまい、福引所のおねーさんからポケットティッシュをもらうんですが、そこですごい喜んぶのね、れんちょん。「ティッシュ! あたったーん!」ってな感じで。
日頃の行いが良かったからティッシュが当たったんだと無邪気に喜ぶ小学一年生。
それを見て思ったよ。
ああ、俺は何て汚れた大人になってしまったんだと。ポケットティッシュをもらうことがハズレだなんて誰が決めたんだと。
その通りだよ。別にポケットティッシュだって、もらえたら嬉しいじゃないか。考えてみたら、街頭でティッシュ配りしている人からもらえたら「ラッキー、ちょうどティッシュ切らしてたんだ、助かったぜ」って思ったことは、一度や二度じゃないんだもの。残念賞と言いつつ、ぜーんぜん残念じゃねーよ。むしろ下手に四等とか当たってたいして使い道のない小物とかもらうよりティッシュの方がよっぽどありがてーよ。
福引が100%の確率で福を引けるものかどうか、それを決めるのは自分の心だったんだ。ティッシュをもらってハズレだと思う人にとっては100%じゃない。でもれんちょんのような子供にとっては、きっと100%福を引けるシステムなんだ。
どうやら地獄の鬼が反吐を吐くべき相手は、福引じゃなくて俺の方だったようですね。
福引を100%福が引けるものだと思える、そんなれんちょんのような心を持った人間に、私はなりたい。
くじ引き・・・くじを引いて運勢を占ったり、何か商品をもらったりする。100%の確率でくじを引いている。
割引・・・商品の価格が定価よりも安くなる。2割引だったら100%の確率で20%価格を値引いている。
ドン引き・・・とにかく引いている。100%の確率で100%引いている。
以上のような前提からいくと、「〇〇引き」っていうのは、とりあえず100%の確率で何かを引いている様子を指すことになる。
となると、福引も100%の確率で福を引けなければいけないのではないだろうか。ここで言う福っていうのは、幸福、みたいな意味を表す。つまり100%の確率で幸福な何かが引けるのが、福引なのではないだろうか。
でも残念ながら福引には、残念賞というのがある。ポケットティッシュなどの粗品がもらえる場合が多い。
もし福引というものが100%の確率で福を引けるのなら、残念賞のようないわゆるハズレは、あってはならないのではないだろうか。
くじ引きにもハズレはある。でも当たりだろうとハズレだろうと、「くじを引く」という行為は必ず行われるので、100%の確率でくじを引くという定義には矛盾しない。
でも福引となると、話が違ってきちゃうのだ。残念賞でポケットティッシュをもらうという、福を引けない結果に終わることがある。
果たしてこれは許されるのか? 福を引けると謳っておきながら福を引けないことがあるなんて、地獄の鬼すら反吐吐く所業なのではないだろうか……?
なーんてことをちょっと思ったりなんかしてたんですけどね。
のんのんびよりという漫画の6巻を読んでたら、デパートで福引をするシーンがあったんですよ。そこでれんちょんという小学一年生の女の子が残念賞を引いてしまい、福引所のおねーさんからポケットティッシュをもらうんですが、そこですごい喜んぶのね、れんちょん。「ティッシュ! あたったーん!」ってな感じで。
日頃の行いが良かったからティッシュが当たったんだと無邪気に喜ぶ小学一年生。
それを見て思ったよ。
ああ、俺は何て汚れた大人になってしまったんだと。ポケットティッシュをもらうことがハズレだなんて誰が決めたんだと。
その通りだよ。別にポケットティッシュだって、もらえたら嬉しいじゃないか。考えてみたら、街頭でティッシュ配りしている人からもらえたら「ラッキー、ちょうどティッシュ切らしてたんだ、助かったぜ」って思ったことは、一度や二度じゃないんだもの。残念賞と言いつつ、ぜーんぜん残念じゃねーよ。むしろ下手に四等とか当たってたいして使い道のない小物とかもらうよりティッシュの方がよっぽどありがてーよ。
福引が100%の確率で福を引けるものかどうか、それを決めるのは自分の心だったんだ。ティッシュをもらってハズレだと思う人にとっては100%じゃない。でもれんちょんのような子供にとっては、きっと100%福を引けるシステムなんだ。
どうやら地獄の鬼が反吐を吐くべき相手は、福引じゃなくて俺の方だったようですね。
福引を100%福が引けるものだと思える、そんなれんちょんのような心を持った人間に、私はなりたい。