奇跡を信じる? それともサンタを信じる?

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
よく考えたら、俺もうミサトさんより年上なんだよな……

この記事を三行にまとめると

奇跡は起こしてこそ初めて価値が出るものよ
奇跡は起こらないから奇跡って言うんですよ
頑張れカカロット……お前がナンバーワンだ
かつてミサトさんは言いました。「奇跡は起こしてこそ初めて価値が出るものよ」と。

かつて美坂栞は言いました。「奇跡は起こらないから奇跡って言うんですよ」と。

そしてベジータは言いました。「頑張れカカロット……お前がナンバーワンだ」と。



ミサトさんと栞の奇跡に対する考え方は、一見すると相容れないようにも見えます。片や起こるという前提で、片や起こらないという前提だから。

でも、もしこの二つの言葉が、どちらも正しいことを言っているのだとしたら……。

奇跡ってのは、起こるまでが奇跡なのかもしれませんね。起こってしまったらそれはもう奇跡ではなくなる。でもそれは価値のあるものなのだ。そう強引に解釈してしまえば、ミサトさんの言葉とも栞の言葉とも、一応は矛盾しないのではないでしょうか?



あれですね。奇跡ってのは、サンタクロースみたいなものなのかもしれませんね。

サンタクロースってのは、誰もがその存在を知ってはいますが、現実にはいません。いや、いることはいるけど、彼らは協会に認められた、普通の人です。ソリに乗って空を飛び、一晩で世界中の子供たちにプレゼントを届ける、そんなおとぎ話に出てくるような白ひげのおじいさまは、残念ながら存在しない。ベジータやカカロットなら、空を飛んで数分で世界中のどこへでも行けるかもしれない。でも、たとえ頑張ったところで、一晩でプレゼントを配るってのは、やっぱり難しいでしょう。まあ、ベジータやカカロットも実在はしないけど。

しかし、サンタやベジータは実在しなくても、クリスマスの朝、子供たちの枕元にはちゃんとプレゼントが届けられます。

確かにそのプレゼントは、サンタクロースが届けてくれたものではありません。子供たちに夢を与えたいと願う、身近な誰かさんが用意してくれたものです。でも子供たちが信じている内は、そのプレゼントは紛れもなく、サンタさんがソリに乗って届けてくれたものなのです。本当はお父さんが用意してくれたという事実を知って初めて、そのプレゼントはサンタさんからの贈り物ではなくなる。でも、プレゼントそのものがなくなってしまうわけではありません。枕元に届いたという事実はなくならない。

奇跡も似たようなものなのかもしれません。奇跡が起こることを信じている内は、紛れもなくそれは奇跡なのでしょう。でも起こってしまった時点でそれは、ただの現実であったり、必然であったり、あるいはできすぎた偶然であったり、もはや奇跡とは呼べないものに変わってしまう。でもそれが起こったという事実は、決してなくならない。価値のある過去として、ちゃんと存在し続ける。

そんなものなのかもしれませんね。



クリスマスってのは、夢見る子供たちや大切な人たちのために、サンタの代わりに大人たちが奇跡を起こす、そんな日なのかもしれません。ドラゴンボールを七つ集める代わりに、大人たちが願いを叶えてあげる、そんな日なのかもしれません。

だから、普段は奇跡なんて存在しない、信じないと思っている人でも、今日くらいは、小さな奇跡を期待してみても良いかもしれません。誰かに届けてあげてみても良いかもしれません。

みなさんに、聖なる夜の奇跡があらんことを。

アーメン……じゃなかった。メリークリスマース(⌒▽⌒)/
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