『タマゴが先かニワトリが先か』
ってことわざが、ありますよね。
ニワトリはタマゴから生まれるから、先に誕生したのはタマゴだろう。いや、でもタマゴを産むのはニワトリだから、やっぱりニワトリの方が先なのか。少なくとも現実に存在する以上、どちらかが先に誕生したのは間違いない。
そんな感じのジレンマが、このことわざです。もしかしたら『ニワトリが先かタマゴが先か』だったかもしれない。
このことわざの概念……ある一つの因果においてどっちが原因でどっちが結果かは分からない、順番を入れ替えても考え方の上では成り立つっていう概念は、実際のニワトリやタマゴに限った話ではなく、身近なところにもあるのではないでしょうか。
例えば、都会に比べると田舎は電車の本数が少ないし、駅と駅の間隔が離れています。その代わり、都会に比べるとほぼどの家庭でも自家用車を持っていると思います。
僕の実家もド田舎ですが、やはりみんな車を持っています。なぜなら車がないと移動が困難だからです。何で困難かっていうと、ただでさえ電車が一時間に一本しか出ない上、駅まで遠い人も多いからですね。
つまり電車が少なくて不便という原因から車が必要という結果が導きだされるわけですが、これは因果を逆にしても成り立つのではないでしょうか。
試しに当てはめてみましょう。
あ、その前に。
特に意味はないですが、名称がないのもあれなんで、この概念のことを以後『タマピヨ理論』と呼ぶことにしましょう。
ではいざ、田舎の交通手段事情に関して、タマピヨ理論を当てはめてみたいと思います。
田舎は電車が少ない。駅も遠い → 車がないと移動手段がない → だからみんな車を持ってる
みんな車を持ってる → どこ行くにも車だから電車とかあまり必要なくね? → 本数減らそう。駅も減らそう
実際はもっといろんな要素(お金の問題とか)が絡んでくるんでしょうけど、因果の順序を逆にしても、間違った考え方ではないような気もしますよね。タマピヨ理論成立です。
このように、どちらが先でもあり得そうなケースってのは、いろいろあると思います。
ちょっと他の、極めて一般的なケースもいくつか考えてみましょう。
収入の高い仕事を始めたよ → お金がたくさん入ってくる → 美味しいものをいっぱい食べるぜ
よし、大勝負に出るぞ → ここで負けたら一気に借金野郎だ → うわぁーー
うおおおおお!! → この勢いでいざ、戦場へ → 武士道とは死ぬことと見つけたり
ウチの桶屋が儲かった → このまま量産して事業拡大だ → 風は俺たちに吹いてるぜ
うむ、ちゃんと成り立っていますねっ。
今回考察したのは、あくまでも極々一般的な、誰もが身近に感じられる例ですが、このタマピヨ理論……タマゴが先かニワトリが先かって問題は、実は巷にあふれ返っているんだと思います。
ちなみに、実際にタマゴとニワトリのどっちが先かって問題は僕には難しすぎるのでよく分かりませんが、(たぶん)タマゴの方が先という説が有力のような? そうでもないような?
ダーウィンの進化論の観点からいくと、生物ってのは徐々に姿を変えて進化してきましたから、そうなるとニワトリも元々はニワトリではない別の何かだったわけで、そのニワトリではない別の何かが産んだタマゴに神懸かり的な突然変異が起こって、そのタマゴから生まれて来たのがニワトリだった、したがってタマゴの方が先だ、みたいなことらしいです。
もっとも、現在の科学では進化論は否定されてるって話も聞きますんで、本当にこの説が有力なのかも分からないんですが、仮に本当だった場合、最初のニワトリのタマゴの親はニワトリではなかったことになりますから、そのタマゴを産んだニワトリではない別の何かも、生まれて来た我が子を見てビックリしたんじゃないですかね。
ニワトリではない別の何か「あ……ありのまま今起こったことを話すぜ。俺が生んだタマゴの中にいたのは……ニワトリだったァーーーー!! 目の錯覚とか勘違いとか、そんなチャチなものじゃあ断じてねえ」
カキョーイン「『突然変異ッ(ミュータント)』!?」
ジョータロー「野郎……面白くなってきたぜ」
まあ、ニワトリは生まれた時点ではまだヒヨコですから、中にいたのはニワトリだったァとか言ってる時点で、こいつは何かを勘違いしている気がしますがね。
ってことわざが、ありますよね。
ニワトリはタマゴから生まれるから、先に誕生したのはタマゴだろう。いや、でもタマゴを産むのはニワトリだから、やっぱりニワトリの方が先なのか。少なくとも現実に存在する以上、どちらかが先に誕生したのは間違いない。
そんな感じのジレンマが、このことわざです。もしかしたら『ニワトリが先かタマゴが先か』だったかもしれない。
このことわざの概念……ある一つの因果においてどっちが原因でどっちが結果かは分からない、順番を入れ替えても考え方の上では成り立つっていう概念は、実際のニワトリやタマゴに限った話ではなく、身近なところにもあるのではないでしょうか。
例えば、都会に比べると田舎は電車の本数が少ないし、駅と駅の間隔が離れています。その代わり、都会に比べるとほぼどの家庭でも自家用車を持っていると思います。
僕の実家もド田舎ですが、やはりみんな車を持っています。なぜなら車がないと移動が困難だからです。何で困難かっていうと、ただでさえ電車が一時間に一本しか出ない上、駅まで遠い人も多いからですね。
つまり電車が少なくて不便という原因から車が必要という結果が導きだされるわけですが、これは因果を逆にしても成り立つのではないでしょうか。
試しに当てはめてみましょう。
あ、その前に。
特に意味はないですが、名称がないのもあれなんで、この概念のことを以後『タマピヨ理論』と呼ぶことにしましょう。
ではいざ、田舎の交通手段事情に関して、タマピヨ理論を当てはめてみたいと思います。
田舎は電車が少ない。駅も遠い → 車がないと移動手段がない → だからみんな車を持ってる
みんな車を持ってる → どこ行くにも車だから電車とかあまり必要なくね? → 本数減らそう。駅も減らそう
実際はもっといろんな要素(お金の問題とか)が絡んでくるんでしょうけど、因果の順序を逆にしても、間違った考え方ではないような気もしますよね。タマピヨ理論成立です。
このように、どちらが先でもあり得そうなケースってのは、いろいろあると思います。
ちょっと他の、極めて一般的なケースもいくつか考えてみましょう。
食に関する因果の考察
美味しいものをいっぱい食べるぜ → たくさんお金稼がなきゃ → 収入の高い仕事を始めたよ収入の高い仕事を始めたよ → お金がたくさん入ってくる → 美味しいものをいっぱい食べるぜ
ギャンブルに関する因果の考察
くそっ、大負けしちまった → このままじゃ借金野郎だ → よし、大勝負に出るぞよし、大勝負に出るぞ → ここで負けたら一気に借金野郎だ → うわぁーー
武士の生き様に関する因果の考察
武士道とは死ぬことと見つけたり → この覚悟でいざ、戦場へ → うおおおおお!!うおおおおお!! → この勢いでいざ、戦場へ → 武士道とは死ぬことと見つけたり
風と桶屋に関する因果の考察
風がすごい吹いてるぜ → 桶が足りねえ、量産するぞ → ウチの桶屋が儲かったウチの桶屋が儲かった → このまま量産して事業拡大だ → 風は俺たちに吹いてるぜ
うむ、ちゃんと成り立っていますねっ。
今回考察したのは、あくまでも極々一般的な、誰もが身近に感じられる例ですが、このタマピヨ理論……タマゴが先かニワトリが先かって問題は、実は巷にあふれ返っているんだと思います。
ちなみに、実際にタマゴとニワトリのどっちが先かって問題は僕には難しすぎるのでよく分かりませんが、(たぶん)タマゴの方が先という説が有力のような? そうでもないような?
ダーウィンの進化論の観点からいくと、生物ってのは徐々に姿を変えて進化してきましたから、そうなるとニワトリも元々はニワトリではない別の何かだったわけで、そのニワトリではない別の何かが産んだタマゴに神懸かり的な突然変異が起こって、そのタマゴから生まれて来たのがニワトリだった、したがってタマゴの方が先だ、みたいなことらしいです。
もっとも、現在の科学では進化論は否定されてるって話も聞きますんで、本当にこの説が有力なのかも分からないんですが、仮に本当だった場合、最初のニワトリのタマゴの親はニワトリではなかったことになりますから、そのタマゴを産んだニワトリではない別の何かも、生まれて来た我が子を見てビックリしたんじゃないですかね。
ニワトリではない別の何か「あ……ありのまま今起こったことを話すぜ。俺が生んだタマゴの中にいたのは……ニワトリだったァーーーー!! 目の錯覚とか勘違いとか、そんなチャチなものじゃあ断じてねえ」
カキョーイン「『突然変異ッ(ミュータント)』!?」
ジョータロー「野郎……面白くなってきたぜ」
まあ、ニワトリは生まれた時点ではまだヒヨコですから、中にいたのはニワトリだったァとか言ってる時点で、こいつは何かを勘違いしている気がしますがね。