スパイラルな僕の心と就寝前のワンダーランド

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
「曲(きょく)」という字は、曲がるという字だ。

つまり、曲がりくねることこそが曲の……ひいては音楽の本質なのではないだろうか。

ドードードードー……と、ストレートなストリートを歩くように単調に同じ音が繰り返されるのは、きっと音楽としては未完成なのだろう。

いや、ある意味ではそれも音楽の一つではあるのだろうが、曲というものの本質には到達していない。

たとえストレートなストリートでも、ストリーキングになってストーカーのごとくスペースを空けずにストリッパーを追いかけ、彼女が身につけているストッキングをスマートにスティールし、それを自分のスモールなスモークチキンに巻きつけ、ストライキを起こす勢いでスカイツリーの上から「俺こそが! 音楽で世界を変える人間だぁ!!」と満面のスマイルでスマッシュをスプラッシュにスペシャルなスピリッツがスターダストとともにウルトラソウッ!!

それくらいスーパーに人生をスポイルすることこそが、作曲の自由、音楽を自由に表現するということなのではないだろうか。

そしてそれは、メロディだけではなく、その熱いソウルが込められたロックなメロディを奏でる人にも当てはまることなのだろう。

曲を演奏することとはすなわち、ワインディングロードを突き進むがごとしなり。

ワインディングロードをワイシャツ一枚でワイン片手にワイバーンのごとく暴れ回り、ワイロを受け取る政治家のようにワルい顔をして「ワイはサルや!」と叫びながらワルキューレのワガママボディをワイパーでこするようにいやらしく触りまくり、ワールドワイドにワイハのワイキキビーチでワンダフルなワルツをワンパクなワンコとともにウルトラソウッ!!

それくらいワイルドに演奏することが、曲を奏でるということなのではないだろうか。

たとえ心が洗われるほど真っ直ぐでキレイな旋律だったとしても、それはストレートな真っ直ぐさではなく、用意されたワインディングロードを踏み外すことなく歩ような、そんな真っ直ぐさなのかもしれない。

つまり、素直で真っ直ぐな感性の持ち主じゃないときっとキレイで良い曲は作れない……のではなく、僕のような曲がった心の持ち主でも、いやむしろ僕のように曲がりくねった心を持ったやつにこそ、良い曲が作れるのではないだろうか!!






……ま、俺の場合は感性の前に技術を磨けっつー話なんですけどねww

なんせ未だに初めて曲作った頃とクオリティに何ら変化が見られないっていう……(´;ω;`)
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