こっちはまだまだ桜咲かないよ〜

おまとめ三行

新しい年度の始まりですね
今日は何の日 ふっふー♪
今年でこのコピペも四年目っすわ
早いもんで、気がつけばもう四月。新しい年度の始まりですね。みなさんはどんな一年のスタートを切るでしょうか。どうか雨にも負けず風にも負けず、雪にも夏の暑さにも花粉症にも負けないで元気な一年を過ごしてほしいと思います。

ところで四月一日といえばエイプリルフールですよね。明けない夜がないように、止まない雨がないように、優しい嘘なんてのも本来は存在しないわけで、よかれと思ってついた嘘も巡り巡って必ずどこかの誰かを傷つけるものではありますが、それでもまあ、年に一度くらいなら傷つくことを恐れずに、刺激のない毎日にちょっとしたスパイスを投入してみてもいいんじゃないかと。何かそんな感じの日ですね。

しかし考えてみたら世界中が同じ日に嘘やジョークで盛り上がるってすごいことですよね。七夕だって世界規模で考えたらやらない国の方が圧倒的に多いのに、エイプリルフールは国の偉い人すら参加することがある。下手したらクリスマスに匹敵するほどの規模かもしれない。いったい何がどう転んだらこんな行事が世界中に広まるのでしょうか……?

ちょっと気になって調べてみたんですが、このエイプリルフールとかいう、年に一度やってくる嘘八百の祭典を世界中に広めるきっかけとなったその起源は、フッたのフラれたのという、ちょっとした恋バナ的なものに端を発するんだそうですね。ヨーロッパの何とかって地方では、その話が今でもおとぎ話で残ってるんだそうで。






むかーしむかし、ずーっと昔、ある一人の少女が恋をしました。

少女はごく平凡な家庭で育った、ごく平凡な女の子。そんな少女が好きになった相手は、街で一番の有力者である資産家の息子さん。当時は今のように自由に恋愛ができる状況ではなく、貴族や王族などの特権階級でなくとも、身分が違えばまず恋が報われることはありませんでした。

それを知りながらも少女は、思いきって自分の想いを伝えました。決死の想いを胸に、どうしても抑えきれなかった気持ちを青年に伝えたのです。

でも残念ながらあえなく玉砕。少女の想いは青年に届きませんでした。

元よりこうなるだろうという覚悟は少女にもありましたが、それでもフラれたショックは大きいものでした。無理のないことです。少女にとっては初めての告白。今までで一番勇気を振り絞った瞬間でしたから。

ショックを振り払うように少女はその場から立ち去ろうとしましたが、ふと何者かの気配を感じました。青年も気づいたらしく、二人で気配のする方を見やると、そこには一人の男が立っていました。運の悪いことに、たまたま告白の現場を覗き見していた者がいたのです。

少女は焦りました。このままでは、街中に変な噂が流れてしまう。そうなったら青年にも迷惑をかけてしまうかもしれない。それに自分も、本来なら決して許されないことをやってしまったのだから、みんなから酷い仕打ちを受けてしまうかもしれない。決して大袈裟な被害妄想ではなく、当時はそれくらい、身分の差というのは決定的な隔たりだったのです。

少女の不安を察したのか、青年はとっさに「今日はいろんな嘘をついて相手を驚かすお祭りの日なんだ。外国の方でやってるお祭りなんだけど、面白そうだから僕たちもやってみようと思ってね。今その予行演習をしていたところさ」と覗き見していた人に嘘をついて、少女を庇ってくれました。

心の中で少女は青年の優しさに感謝しました。フラれたことは悲しかったですが、好きになった相手がこの人で良かったと改めて思いました。同時に、青年の嘘と優しさにほんの少しだけ甘えてみたくもなりました。

少女は青年に「嘘で良いので、今日だけ私の恋人になってください」とお願いしてみました。青年はその提案を快く受け入れてくれました。

二人は仲良く手をつなぎ、デートさながらに「僕たち恋人同士になりました」と街のみんなに言って回り、他にもいろんな嘘をついて、今日はそういうお祭りなんだということを盛大にアピールしました。そんな二人の様子を見てみんな最初は何事かと驚いていましたが、必要以上に怪しむことはなく、むしろみんなも「これは面白そうだ」と互いに嘘をつき合い、嘘のお祭りを楽しみました。

ある年の、四月一日のことでした。

これがきっかけで、この街では毎年四月一日になると街全体で嘘つき大会を行なうようになり、それがいつの間にか広まって、やがてエイプリルフールという世界的なイベントになったのだそうです。






まあ、実際にはそんなおとぎ話はどこにもないんですけどね。すみません。優しさのかけらもない嘘八百……いえ、嘘八百万です。八百万の神様の中には嘘を司る神様もいるんですかね?

本当はエイプリルフールの起源ってのはあまりはっきりしてなくて、フランスでは元々四月一日が新年の始まりだったのに、一月一日を新年とする暦に変わってしまったから、四月一日を「嘘の新年」ということにしたってところから生まれたとか、仏教では三月の末に修行を行なうんだけど、その修行が終わるとせっかく煩悩を取り払ったのにまたすぐ迷いが生じることから、四月一日を「揶揄際」と呼ぶようになったところから来ているとか、いろいろ諸説があるんですが、いずれも有力というだけで、真実かどうかは分からないみたいです。

でも真実かどうか分からないってことは、もしかしたら本当に本当は、想いに応えられなかった青年が少女を庇ってついた嘘が始まりだった可能性だって、ありますよね。

嘘ってのは基本的にはつかない方が良いに決まってるんですが、もしもこのエイプリルフールとかいう乗らなくてもいいビッグウェーブに便乗して一つくらい嘘をつくと言うのなら、毒にも薬にもならない、褒められもせず苦にもされない、そういう嘘を私はつきたい。