生きたいという欲求の根源は知りたいという欲なのかも

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
私のPCの猫画像は108枚まであるぞ(嘘)

この記事を三行にまとめると

箱の中の猫を見ることなんて不可能っすよ
そうでもなかったっぽいっすよ
不老不死になりたいかー
もう二年くらい前になりますけど、こんなことを書いたことがありました。

観測とは自分の意識が現実世界にあることを認識する行為である

透視能力を持った人がシュレーディンガーの猫を観測したらどうなるか。でも実際そんな透視能力が使える人なんていないだろうから、これは仮説の域を出る話ではない。科学の限界なんてそんなもん……的なことを言ったような言わなかったような感じです。

でも、つい最近、こんな記事を見つけました。

物理学「量子もつれ効果」でシュレーディンガーの猫の撮影に成功(オーストリア研究)



いたよ、透視能力持ってる人。

まあ、正確には人ではないけどさ。もっと正確に言うと、この記事は別に生きている猫と死んでいる猫の両方の状態を同時に観測することに成功したっていうよりは、とある二つの状態のうちの片方が観測できたおかげでもう片方の状態も知ることができた……的なことを言っているような気がするんだけど。

ぶっちゃけこの記事が言わんとしてることはよく分からんのですが、あれとあれをこうしたときにそうなったってことだけは確かなようです。うん、やっぱりよく分からん。

しかし、何にしてもあれだね。人はどんなことにでもどこまででも挑戦し続ける生き物なんですな、ほんまに。

いったいこの先、人類はどれだけの不可能を可能にして行くんでしょうねぇ。



僕は基本的に長生きしたいって願望はそんなにないんですが、何となくSFの世界でしか目にすることがないんだろうなーって思ってたようなことが現実味を帯びて来ると、このままあと何百年かすれば、空を飛ぶ車とか完璧な透視を可能にする眼鏡とか頭で考えただけで情報が出力される装置とか一瞬で遠く離れたところに行けるドアとか、そういうものが本当に世に出ているかもしれないって、ちょっと信じたくなる。そんなとき、人類がどんどん不可能を可能にしていく様を、もっと見たいって思うことがある。不老不死とまでは言わなくても、あと千年くらい生きて、その間に世の中がどんな風に変わって行くのか、ちょっとだけ見てみたいなーって、思わなくもない。

この先、もっといろんな技術が進歩して、今では絵空事でしかないようなものも現実になる日が来ると思う。でもそれはずっと先の話。僕は生きれてもせいぜいあと数十年だから、いくつかはお目にかかることができるかもしれないけど、全部は無理です。たぶん、僕が生きている間には人は火星には行けないでしょう。でもどうせなら人が火星に下り立つ瞬間とかも、見てみたくない?

そういや、これまた二年くらい前になるけど、こんな記事もありましたな。

世界中で話題になっている画期的研究 20年後、人類は「不老不死」になる

これがもし本当になったとして、それを可能にする薬ができたからあとは人体実験を行うだけだってなったときに、僕が今と同じような気持ちでいたら、被験者を名乗り出ようって思うことがある……かもしれない。
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