この記事を三行にまとめると
ドーナツの穴はドーナツの一部なのか「0個ある」を定義することはできるのか
解答が出せなくても人生あまり困らない
いつだったか、ドーナツの穴だけ残して食べる方法っていうのが話題になったことがありました。いろんな分野の考察やら解答があってなかなか興味深かったです。
ようはドーナツって穴の部分もドーナツの一部なのかどうかってのが問題になってくるわけですが、ドーナツの定義に「穴が空いていること」っていう条件が含まれているのであれば、穴もドーナツの一部にはなりますね。でも食べられるのは穴以外の部分であって、穴を食べることはできない。かと言って、穴以外の部分を全部食べてしまうと、その時点で穴自体は消滅してしまうことになる。でも穴の部分が腹の中に収まったわけではないのだから、食べる前まで穴として存在していた空間には、まだドーナツの穴は存在しているはずで……という、僕みたいなノータリンなやつには正解が分からないけど、まあ分からないままでも人生困らない気もする感じの問題です。あまりドーナツ食べないしな……や、嫌いではないけどね。
ドーナツに限らず穴が空いてる食べ物ならだいたい該当するので、これはドーナツの部分をちくわとかちくわぶとかちくわの磯辺揚げとかに置き換えても良いですよね。ドーナツはあまり食べないけど、ちくわぶは結構好きで食べます。そろそろおでんの季節だから、食べる機会も増えるね。ちくわの磯辺揚げも好きです。そういや、大室家のアホの子(褒め言葉)もちくわの磯辺揚げが好きだって言ってましたね。
ところで話は変わって……。
ちょっと気になったことがあるんで聞いてもらいたいんですけど、「0個」っていうのは、存在するのでしょうか?
たとえば今、お皿の上にりんごが3個あったとします。1個食べたらお皿の上には2個になります。さらにもう一つ食べたら残りは1個になり、その最後の1個も食べちゃったら、お皿の上のりんごは0個になります。そりゃそうだ。
ではここでクエスチョン。
このお皿の上に何もない状態を「りんごが0個ある」と定義することは、果たして可能なのでしょうか?
質問を投げておきながら、できないって答えが返って来ちゃうと話が終わっちゃうんで、ここではできるという前提で話を進めますが、このりんごが0個ある状態っていうのは、今までお皿の上にりんごがあったという前提の話になりますよね。つまり、元々お皿の上にあったのがりんごではなくみかんだったら「みかんが0個ある」という状態になります。「りんごが0個ある」ではおかしいということになる。
ただ、この「りんごが0個ある」と「みかんが0個ある」って、状態としては一緒なんですよね。どちらもお皿の上に何もないっていう点で一緒だし、その時の空間の状態も基本的には同じと言って良いと思います。そう考えると、お皿の上に元々あったのがりんごだったとしても、みかんが0個あるって言ったところで必ずしも間違ってはいないんじゃないでしょうか。別にみかんじゃなくても良い。ドーナツが0個あるでもちくわの磯辺揚げが0個あるでも、極端な話、地球が0個あるでも良いんじゃね? さすがに地球は無理があるか。この世に一つしかない地球が地球の内部(表面?)にあるお皿の上に、たとえ0個とはいえ存在しているって、もう何が何だか分かりませんね。
でも、もし元々りんごがあった場合にみかんが0個あるやドーナツが0個あるって言うのがおかしいのだとしたら、お皿の上の何もない空間はりんごの一部……いや、りんごたちの一部ということになっちゃうんじゃないかなぁ。
ここで思うわけですよ。これって、ドーナツの穴の部分と考え方が似ているんじゃないかって。
ようするに、りんごとかドーナツの……何て言えば良いんだろ……本体じゃないところ? 手で触れる部分以外のところ? 上手い言葉が見つからないけど、それを一部と見なすかどうか、みたいな。一部と見なすと言うのであれば、りんごが0個ある状態は、みかんが0個ある状態とは言えないことになる。でも明らかにそこにある空間はりんごではないわけだから、厳密には一部と見なすことはできないかもしれない。しかし見なすことができないのであれば、それをりんご以外のもので表現できないのはおかしい。みかんとかで表現しても問題ないような気がしなくもないわけで、もはや僕には何が何だか分かりません。
まあ、0個を定義可能っていう前提が崩れたら、もう何も言えねえんですけどね。金メダルを取った直後の北島康介くらい何も言えねえですけどね。
うーむ……インドで0という概念が確立されたことは世紀の大発見みたいな扱いになってますけど、そのおかげで21世紀を生きる僕みたいなアホの子(褒め言葉ではない)がこんなことを考える羽目になってしまっていると思うと、不憫でならないですね(ノータリンな僕の頭が)
とりあえず言えることは、0個をどう定義しようがやっぱり人生そんなには困らないってことですかね。
ようはドーナツって穴の部分もドーナツの一部なのかどうかってのが問題になってくるわけですが、ドーナツの定義に「穴が空いていること」っていう条件が含まれているのであれば、穴もドーナツの一部にはなりますね。でも食べられるのは穴以外の部分であって、穴を食べることはできない。かと言って、穴以外の部分を全部食べてしまうと、その時点で穴自体は消滅してしまうことになる。でも穴の部分が腹の中に収まったわけではないのだから、食べる前まで穴として存在していた空間には、まだドーナツの穴は存在しているはずで……という、僕みたいなノータリンなやつには正解が分からないけど、まあ分からないままでも人生困らない気もする感じの問題です。あまりドーナツ食べないしな……や、嫌いではないけどね。
ドーナツに限らず穴が空いてる食べ物ならだいたい該当するので、これはドーナツの部分をちくわとかちくわぶとかちくわの磯辺揚げとかに置き換えても良いですよね。ドーナツはあまり食べないけど、ちくわぶは結構好きで食べます。そろそろおでんの季節だから、食べる機会も増えるね。ちくわの磯辺揚げも好きです。そういや、大室家のアホの子(褒め言葉)もちくわの磯辺揚げが好きだって言ってましたね。
ところで話は変わって……。
ちょっと気になったことがあるんで聞いてもらいたいんですけど、「0個」っていうのは、存在するのでしょうか?
たとえば今、お皿の上にりんごが3個あったとします。1個食べたらお皿の上には2個になります。さらにもう一つ食べたら残りは1個になり、その最後の1個も食べちゃったら、お皿の上のりんごは0個になります。そりゃそうだ。
ではここでクエスチョン。
このお皿の上に何もない状態を「りんごが0個ある」と定義することは、果たして可能なのでしょうか?
質問を投げておきながら、できないって答えが返って来ちゃうと話が終わっちゃうんで、ここではできるという前提で話を進めますが、このりんごが0個ある状態っていうのは、今までお皿の上にりんごがあったという前提の話になりますよね。つまり、元々お皿の上にあったのがりんごではなくみかんだったら「みかんが0個ある」という状態になります。「りんごが0個ある」ではおかしいということになる。
ただ、この「りんごが0個ある」と「みかんが0個ある」って、状態としては一緒なんですよね。どちらもお皿の上に何もないっていう点で一緒だし、その時の空間の状態も基本的には同じと言って良いと思います。そう考えると、お皿の上に元々あったのがりんごだったとしても、みかんが0個あるって言ったところで必ずしも間違ってはいないんじゃないでしょうか。別にみかんじゃなくても良い。ドーナツが0個あるでもちくわの磯辺揚げが0個あるでも、極端な話、地球が0個あるでも良いんじゃね? さすがに地球は無理があるか。この世に一つしかない地球が地球の内部(表面?)にあるお皿の上に、たとえ0個とはいえ存在しているって、もう何が何だか分かりませんね。
でも、もし元々りんごがあった場合にみかんが0個あるやドーナツが0個あるって言うのがおかしいのだとしたら、お皿の上の何もない空間はりんごの一部……いや、りんごたちの一部ということになっちゃうんじゃないかなぁ。
ここで思うわけですよ。これって、ドーナツの穴の部分と考え方が似ているんじゃないかって。
ようするに、りんごとかドーナツの……何て言えば良いんだろ……本体じゃないところ? 手で触れる部分以外のところ? 上手い言葉が見つからないけど、それを一部と見なすかどうか、みたいな。一部と見なすと言うのであれば、りんごが0個ある状態は、みかんが0個ある状態とは言えないことになる。でも明らかにそこにある空間はりんごではないわけだから、厳密には一部と見なすことはできないかもしれない。しかし見なすことができないのであれば、それをりんご以外のもので表現できないのはおかしい。みかんとかで表現しても問題ないような気がしなくもないわけで、もはや僕には何が何だか分かりません。
まあ、0個を定義可能っていう前提が崩れたら、もう何も言えねえんですけどね。金メダルを取った直後の北島康介くらい何も言えねえですけどね。
うーむ……インドで0という概念が確立されたことは世紀の大発見みたいな扱いになってますけど、そのおかげで21世紀を生きる僕みたいなアホの子(褒め言葉ではない)がこんなことを考える羽目になってしまっていると思うと、不憫でならないですね(ノータリンな僕の頭が)
とりあえず言えることは、0個をどう定義しようがやっぱり人生そんなには困らないってことですかね。