縁は異なもの味なもの

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
赤い糸の行く先は……?

この記事を三行にまとめると

センテンススプリング!とか書かないようにしないとな
意外な知り合いとの出会いが、SNS上では起こるかもしれない
僕なら「やっべ遅刻だ」と思った時点で、一限はサボります
学生時代の友人というわけではなく、共通の友人もいない。

そんな人をご存知ですかという通知が、Facebookから来ました。

結論から言うとご存知ではあったわけですが、一時期バイト先が一緒だっただけで、しかもそれは、お互いにFacebookを始める前のこと。十年以上も前の話。そしてそのバイトに関する情報は、Facebook上のどこにも載っていない。その上、共通の友人もいないから、Facebook上でのつながりは皆無と言って良い。

そんな人を、いったいどうやって結びつけてきたんでしょうか。何かこえーよね。基本的に見られてまずいような内容をFacebookとかTwitterには載せてないですけど、気をつけないといけないかもですね。うっかりセンテンススプリング!とか書かないようにしないとな。



六次の隔たりという概念があります。自分の知り合いから別の知り合いへ、順々に知り合いを辿っていくと、六人辿るだけで世界中の誰にでもつながることができる、みたいな概念。

実際にmixiやFacebookでも、任意の二人の間を六人以内でつなぐことができる的な検証結果が出ているとかいないとか。

さっきの例だと、現実には直接の知り合いだから、事実上、その人と僕の間には誰の隔たりも必要ないわけですが、SNSにも六次の隔たりの概念が応用されてるなら、Facebook上ではつながりがないどんな知り合いでも、いずれこうして通知が来る可能性は、あるってことなんですかね。



しかしマジで、どんな情報を辿って、その人から僕のところまでつながって来たのかしらね。そりゃあ、風が吹くだけで桶屋が儲かると言われるくらいだから、意外な知り合いとの出会いが、SNS上では起こるかもしれない。

朝寝坊して「やっべ! 遅刻だ!」と叫びながらダッシュで学校に向かってたら、曲がり角のところで食パンをくわえた少女とぶつかった。その時は「ごめん、大丈夫だった?」「いったーい! 気をつけてよね、もう!」と一方的に怒られただけで、名前も聞くことなく別れた。何とか遅刻をギリギリ免れて学校に到着。そしたら朝のホームルームで、今朝ぶつかった子が自分のクラスに転校してきた子だったことが判明……みたいなことは一切なく、結局その子がどこの誰かも分からないまま卒業し、大学に進学と同時に上京。友人の勧めでFacebookを始めたら、しばらくして、名前を聞いたこともない女性の名前で「○○さんをご存知ですか?」という通知が。どうせスパム的なあれかなと思いつつ、その人のプロフィールを見てみたら、なんと数年前に曲がり角でぶつかったあのパン子さんだった。どうせ覚えていないだろうと思いながらもメッセージを送ってみたら、向こうも覚えていてくれた。さっそく友達申請をして交流がスタート。数年の月日が流れ、今では一つ屋根の下、家族三人で幸せに暮らしています。食パンの焼ける匂いとともに目覚める毎日です。SNS万歳!

みたいなことも、あるあ……ねーよ! だいたい曲がり角を通り過ぎる時、全力疾走するわけがねーじゃん。車が来てるかもしれないのに。っていうか僕なら「やっべ遅刻だ」と思った時点で、一限はサボります。急ぐってなに?

でもまあ、実際にこんなことは起こらないにしても、人の縁が異なものってのは、間違いではないと思います。運命の赤い糸とかも、実は意外な人と意外なところでつながっていたり、するのかもしれないね。
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