十二支の動物全部にことわざが存在するか調べてみた

この記事はだいぶ前に書かれたものなので情報が古いかもしれません
もう十二支って言い方はしないのかな?

この記事を三行にまとめると

たぶん十二支の動物は全部出てくるよね?
これみよがしにマウントを取って責めてはいけない
聞いたことないものもいくつもあった
ことわざとか故事成語って動物が出てくるものも結構あるじゃないですか。たぶん十二支の動物は全部出てくるよね?

みたいなことをふと思ったんですよ。そんでちょっと探してみたんですけど、やっぱりありましたね。

ネズミから順番に紹介しましょう。知ってるものも多いはず。



窮鼠猫を嚙む

ネズミも追いつめられれば猫に噛みつくこともある。だからあまり追いつめすぎるのは危険。いくら相手がドMだからといっても、いじめすぎると思わぬ反撃にあうかもしれない。MはSにもなれると言いますからね。僕もそれなりにドMだけど、もしかしたらそんな一面が眠っているかもしれない。だから気をつけた方が良い。そんなことわざです。



牛にひかれて善光寺参り

自らの意思ではなく他者の意思、あるいは奇妙な偶然などによって良い方向に導かれるという意味のことわざです。

ケチで根性のねじ曲がったおばあさんが川で洗濯をしていたところ、一頭の牛が洗濯物を持っていってしまいました。おばあさんは全力で牛を追いかけました。そしたらいつの間にか善光寺にたどり着いていました。せっかく来たんだから賽銭でも恵んでやるかと思ったところ、財布がないことに気づきました。そのままドライブでも行こうと思ったけどこの時代にはまだカローラⅡがなかったので、しばらく善光寺にとどまって何やかんやとやっているうちにすっかり信心深くなり、性悪な性格もすっかり直ったという昔話が語源になっています。

まあようするに動物に何か取られたら、それが角にタオルを引っかけた牛であれお魚をくわえたどら猫であれ、とりあえず追いかけてみると良いことがあるかもしれないってことですね。



虎穴にいらずんば虎子を得ず

虎の子を得るためには虎の穴に入らなければならない。でも日常生活の中で虎の子を得たい状況なんてそうそうない。虎の穴に入らなければならない時、それは欲しい同人誌を手に入れる時だけだ。しかし自分は隠れオタ。クラスではリア充グループに属している。同人誌を愛読していることを知られてはならない。ゆえにとらのあなに入る時は慎重に行動する必要がある。もしも知人に見つかったら一巻の終わりだ。しかしその危険を冒してでも自分はあの店に眠るお宝が欲しいのだ! 

ようするにハイリスクハイリターンという意味ですね。



二兎を追うものは一兎をも得ず

庭には二羽ウサギがいる。その二羽を同時に捕まえることができると? おおかた足に自信ありってとこか。認めるぜ。だがそれでも同時に二羽を捕まえるのは難しいだろうな。下手したら二羽とも逃してしまうぜ? 欲張るのは悪いことではないけれど、出しどころは考えた方が良い。何かそんな感じです。

指輪まで買って本気で好きだと伝えたあげく無残にフラれた後、その指輪を使い回して別の子に本気で好きだと伝えても、そりゃあフラれるに決まってる。その場しのぎのことばかり言ってずっとどっちつかずな態度を取り続けてたら、ろくな結果にならないのは火を見るより明らかだしんよー。



画竜点睛を欠く

画竜点睛というのは物事の最後の大仕上げのことです。北斗神拳の奥義ではないです。画竜は竜の絵、睛は目のことです。物事が成就した時に総仕上げとしてダルマの目に点を描き込むようなもんですかね。

つまり画竜点睛を欠くとは最後の仕上げを欠いてしまう、大事な部分が抜け落ちてしまう、そんな意味のことわざです。

仕上げは大事ですからね。終わり良ければ全て良しなんてことわざもありますが、最後の最後で油断するとこれまで頑張ってきた全てが水の泡になってしまうこともあるかもしれない。せっかく良記事になりそうな雰囲気があったのに、最後のオチが不発だったせいで一気に駄文へと変わるという、まさにこのブログにふさわしいことわざだわさ。



蛇の道は蛇

専門的なことは専門家に聞くのが一番良いという意味です。

一昔前に比べると最近は何でも簡単に検索できるようになりました。大半の情報は誰でも手に入れられる。しかしその情報が本当に正しいかどうかの判断は素人には難しい。フェイクニュースも多いこのネット社会。意図的じゃなかったとしても間違った情報が飛び交うことは珍しくないですからね。情報量が爆発的に増えたとは言っても、やはり良質な情報を得たければその道のエキスパートに聞くのが良いでしょう。

ちなみに僕もこのブログでいろいろな情報を発信しておりますが、しょせんは僕の言うことですから、話半分くらいに聞いとくのが良いでしょう。



馬の耳に念仏

馬に向かっていくら念仏を唱えたところで効果は得られない。同じように他人の忠告に全く耳を貸そうとしない人には何を言っても無駄ということわざですね。

とは言うものの、僕ら人間だっていきなり耳元で念仏を唱えられたら、聞く耳を持とうはしないかもですよね。ひたすら「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」と言われ続けて怖いだけだもの。いえ、もちろん仏教を否定するわけじゃござんせんよ。僕も小学生の頃は毎月第二土曜に近所のお寺に行ってお経を唱える勉強とかしてたこともありますから。つまりは状況次第ってことですね。性悪婆さんの性格を百八十度変えることだってあるからな。



羊の皮をかぶった狼

羊の皮を着た狼とも言いますが、表向きは親切そうにふるまっているけど内心では良からぬことを考えていることのたとえです。新約聖書に出てくる一節が語源となっています。

狼ってのは何かと悪者にされがちですよね。赤ずきんに出てくる狼もそうだし、最近じゃ人狼ゲームとかもあるし。狼からしてみりゃいい迷惑だよね。すごい誠実な狼だっているかもしれないのに。けものフレンズのタイリクオオカミだって、ちょっと意地悪なところもあるけど根は良い人だよ。どっちかってーと表が人をからかったり良からぬことをするタイプで、内面の方がいい人だった。

でもまあ狼には十分に警戒した方が良いでしょう。お腹が空いたからスーパーに行って半額のお弁当でも買おうなんて思ったら「豚はつぶす!」とか言われて散々な目にあうかもしれない。それに「大丈夫。絶対に何もしないから」とか言って家に誘おうとする男は絶対に内心で良からぬことを考えています。紳士の皮を被った狼です。しょせん男はみんな狼なんだよ。



猿も木から落ちる

猿は木登りが得意です。そんな猿でも木から落ちることはある。つまりその道のエキスパートであっても時には失敗することもあるわけさ。蛇の道は蛇、困ったことがあったら専門家の意見をあおぐのが最良だが、専門家でも間違うことはある。だからと言ってこれみよがしにマウントを取って責めてはいけない。猿も木から落ちることはあるのだから……。



鶏群の一鶴

鶏の群の中に一羽だけ鶴がいる。転じて多くの凡人の中に一人だけ優れた人物がいることを表すことわざです。

凡人の中にいる一人の天才か……それが一つのチームである場合、おそらくはその人がチームを率いるリーダー的存在になるだろうね。その人の判断と命令がチームを動かす。まさに鶴の一声ってやつだな。でも凡人たちも自分で考えることを忘れてはならない。いくら天才といえども判断を誤ることはあります。そう、猿も木から落ちることはあるのだから……。



犬も歩けば棒に当たる

たぶん多くの方が一度は聞いたことがあるこのことわざ。その意味もご存じの方が多いと思いますが、実のこのことわざには正反対の二つの意味があります。

一つは出しゃばったことをすると思わぬ災難にあうという意味。そしてもう一つは何か行動すると思わぬ幸運に恵まれるという意味です。まさに正反対の意味ですね。元々は一つ目の意味だけだったみたいですが、当たるという単語が「宝くじが当たる」などの幸運を意味する使い方をすることから、二つ目の意味も持つようになったそうです。

まあ結局のところあれよ。幸運に恵まれるか不幸な目にあうかはやってみないと分からないってことよ。善光寺で悟りを開くこともあれば、とらのあなで同人誌を買おうとしてるところを友人に見つかって隠れオタがバレちゃうことだってあるかもしれない。しかし行動しなければどちらも起こることはない。だからまずは行動を起こすことが大事だよと、そういうことですね。

迷わずやれよ、やれば分かるさ。



猪見て矢を引く

四字熟語だったら猪突猛進とか思いつくんですが、猪に関することわざは一つも知りませんでした。でも大半の情報は誰でも手に入れられるこのネット社会。調べたらすぐにいくつか見つかりましたよ。

猪見て矢を引くというのは何か事が起こってから慌てて対策を講じること、あるいは何か起こってからでは遅いという意味のことわざのようです。猪を見てから矢を構えても遅いってことなんですかね。確かに走ると速いですもんね。時速40km以上で走れるらしいし。体も頑丈で牙もあるから突進されたら脅威ですわ。まさに猪突猛進。カバのように舞いサイのように刺す。下手したら矢ぐらい弾き返せるんでねーの?






動物ごとに一つずつ紹介しましたが、これら以外にも調べるといっぱいあります。聞いたことないものもいくつもあった。

複数の動物が同時に出てくることわざとかもありますね。鶏口牛後とか竜頭蛇尾とか。ことわざっつーか四字熟語ですかね。まあ鶏口牛後なんかは「鶏口となるも牛後となるなかれ」なんて言い方もしたりしますので、ことわざと言っても差し支えないと思います。

最近じゃネットで何かを検索するっつっても、仕事で詰まった時に調べ物をするくらいでことわざとかを調べる機会ってなかなかないんですが、たまにはこうして日本語について調べてみるのも面白いもんですね。そういう感覚、忘れてたよ。

ところで今はもう十二支って言い方はしないんですかね? 普通に干支で良いのかな。言語学者の方がここを訪れることがあれば、ぜひ聞いてみたいですね。蛇の道は蛇ですからね。
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