この記事を三行にまとめると
人は生まれ変わっても性格は変わらないのか今の自分と全く違う自分になる可能性もあるのか
明日から本気出す
人は死んだら生まれ変わるという説を、僕は特に信じてはいない。
でもまあ「ワタシハウマレカワリヲシンジテイマセン」と言い切ってしまうと今日の話が終わってしまうので、ここでは人は死んだら生まれ変われるってことにしときます。
生まれ変わった場合、つまり来世の僕と今の僕ってのは、全く違う人間になるんでしょうか? 絶対ではないにせよ、その可能性はあるのでしょうか? それとも肉体的には別の人になっても、僕の人としての本質的な部分……つまり、魂?みたいなものは何度生まれ変わろうとも引き継がれるものでしょうか。
もし引き継がれるとしたら、周りの環境によって多少の変化はあるにせよ、根源的な性格とかは大きく変わらないわけで、ってことは来世の僕も今の僕みたいに、一人の時間をなるべく多く確保することとのんびりだらだらと毎日を過ごすのが好きなやつになることが予想される。あとカルボナーラとビーフシチューとカニクリームコロッケが好きで、小説を読んだり書いたりするのが好きで、風呂に入るときもトイレに入るときも本を手放さない、女性の胸よりも足を見てしまう、そんなやつになることが予想される。
ありがたいことに、今の僕は環境的にはわりと恵まれていて、一人の時間を多く取ることができる状態にある。それなりに毎日のんびりだらだらできる状態にもある。風呂やトイレに本を持って一時間くらいこもってても誰にも何も言われないし、カルボナーラとビーフシチューとカニクリームコロッケは、まあ、普段あまり食べないけど、いざ食べたいなってときに食べられる環境にはあると思う。女性の足は……一人でいる時間が多いと、なかなか見る機会はないですねぇ。
でも、もしかしたら来世では、いつも大勢の人間に囲まれながら、一息つく暇もないほど忙しい毎日に追われて、とてものんびりだらだらなんてできないかもしれない。家に帰っても常に誰かが一緒にいて、お風呂で本なんて読んでたら怒られるかもしれない。女性の足を見ることは一切許されず、ひたすらコタツテーブルの足を組み立てる仕事に従事しなければならないかもしれない。
生まれ変わるたびに性格とかが変わるんなら別に良いんですよ。来世の自分は、暇な時間なんてなくても良い、一人の時間なんてなくても良いと思う人間になるかもしれないからね。異性に興味のない人間になるかもしれない。その場合はどんなに忙しくても胸を張って「ワイはリア充や! でも東京生まれヒップホップ育ちだからこの関西弁はエセや!」って叫べることでしょう。
でも、来世の僕も今の僕と似たような人間であるのなら、忙殺されてお風呂で本も読めない毎日はあまり好きになれないかもしれない。
食べ物の好みとかも大きく変わるかもしれない。うっかりアマゾンの奥地でしか取れない幻の木の実とかが好物になってしまった場合、いざ食べたいってなっても、めったに食べられないことになる。それはちょっぴり寂しいですね。
ってか、そもそも生まれ変わった場合、次も絶対に日本人として日本に生まれるんだろうか? 他の国に生まれる可能性はないんだろうか? アマゾンの奥地に生まれる可能性は? 日本は食べ物は充実しているから、カルボナーラでもビーフシチューでもお茶漬けでもポテトチップスでも食べたいなって思えばすぐに食べられる。でも、明日食べるものもないようなところに生まれ変わる可能性だって、あるかもしれない。好き嫌いなんてぜいたくなことは許されないかもしれない。
つい先日、ふとそんなようなことを思いましてね。
今の僕の感じのまま生まれ変わるのだとしたら、今と180度違う環境に置かれた場合どうなっちゃうんだろう、みたいなことをね。好きな食べ物も食べられず、仕事を選ぶ余裕もなく、自由な時間なんてほとんどない。そんな環境に置かれたらどうなるのかなぁ。
そう考えたら、わりと自分のやりたいようにやれている今生を、だらだらばっかりしてないで、もうちょっと頑張ってみても良いんじゃないか。せっかく時間がたくさん余ってるんだから、有効に使って行こうじゃないか……とね。
とは言うものの、僕は思い立ってもなかなか行動に移さないやつだから、こんなことを思ったところで「明日から本気出す!」って、明日も明後日も言ってるんでしょうけどねww
ま、来世から本気を出すのではなく明日からって言ってるだけ、まだ希望があるってことにしときましょう。
とりあえず今日のところは、録画しておいたサッカー日本代表の試合を見ながら、のんびりだらだらと過ごしますわ(>_<)b
でもまあ「ワタシハウマレカワリヲシンジテイマセン」と言い切ってしまうと今日の話が終わってしまうので、ここでは人は死んだら生まれ変われるってことにしときます。
生まれ変わった場合、つまり来世の僕と今の僕ってのは、全く違う人間になるんでしょうか? 絶対ではないにせよ、その可能性はあるのでしょうか? それとも肉体的には別の人になっても、僕の人としての本質的な部分……つまり、魂?みたいなものは何度生まれ変わろうとも引き継がれるものでしょうか。
もし引き継がれるとしたら、周りの環境によって多少の変化はあるにせよ、根源的な性格とかは大きく変わらないわけで、ってことは来世の僕も今の僕みたいに、一人の時間をなるべく多く確保することとのんびりだらだらと毎日を過ごすのが好きなやつになることが予想される。あとカルボナーラとビーフシチューとカニクリームコロッケが好きで、小説を読んだり書いたりするのが好きで、風呂に入るときもトイレに入るときも本を手放さない、女性の胸よりも足を見てしまう、そんなやつになることが予想される。
ありがたいことに、今の僕は環境的にはわりと恵まれていて、一人の時間を多く取ることができる状態にある。それなりに毎日のんびりだらだらできる状態にもある。風呂やトイレに本を持って一時間くらいこもってても誰にも何も言われないし、カルボナーラとビーフシチューとカニクリームコロッケは、まあ、普段あまり食べないけど、いざ食べたいなってときに食べられる環境にはあると思う。女性の足は……一人でいる時間が多いと、なかなか見る機会はないですねぇ。
でも、もしかしたら来世では、いつも大勢の人間に囲まれながら、一息つく暇もないほど忙しい毎日に追われて、とてものんびりだらだらなんてできないかもしれない。家に帰っても常に誰かが一緒にいて、お風呂で本なんて読んでたら怒られるかもしれない。女性の足を見ることは一切許されず、ひたすらコタツテーブルの足を組み立てる仕事に従事しなければならないかもしれない。
生まれ変わるたびに性格とかが変わるんなら別に良いんですよ。来世の自分は、暇な時間なんてなくても良い、一人の時間なんてなくても良いと思う人間になるかもしれないからね。異性に興味のない人間になるかもしれない。その場合はどんなに忙しくても胸を張って「ワイはリア充や! でも東京生まれヒップホップ育ちだからこの関西弁はエセや!」って叫べることでしょう。
でも、来世の僕も今の僕と似たような人間であるのなら、忙殺されてお風呂で本も読めない毎日はあまり好きになれないかもしれない。
食べ物の好みとかも大きく変わるかもしれない。うっかりアマゾンの奥地でしか取れない幻の木の実とかが好物になってしまった場合、いざ食べたいってなっても、めったに食べられないことになる。それはちょっぴり寂しいですね。
ってか、そもそも生まれ変わった場合、次も絶対に日本人として日本に生まれるんだろうか? 他の国に生まれる可能性はないんだろうか? アマゾンの奥地に生まれる可能性は? 日本は食べ物は充実しているから、カルボナーラでもビーフシチューでもお茶漬けでもポテトチップスでも食べたいなって思えばすぐに食べられる。でも、明日食べるものもないようなところに生まれ変わる可能性だって、あるかもしれない。好き嫌いなんてぜいたくなことは許されないかもしれない。
つい先日、ふとそんなようなことを思いましてね。
今の僕の感じのまま生まれ変わるのだとしたら、今と180度違う環境に置かれた場合どうなっちゃうんだろう、みたいなことをね。好きな食べ物も食べられず、仕事を選ぶ余裕もなく、自由な時間なんてほとんどない。そんな環境に置かれたらどうなるのかなぁ。
そう考えたら、わりと自分のやりたいようにやれている今生を、だらだらばっかりしてないで、もうちょっと頑張ってみても良いんじゃないか。せっかく時間がたくさん余ってるんだから、有効に使って行こうじゃないか……とね。
とは言うものの、僕は思い立ってもなかなか行動に移さないやつだから、こんなことを思ったところで「明日から本気出す!」って、明日も明後日も言ってるんでしょうけどねww
ま、来世から本気を出すのではなく明日からって言ってるだけ、まだ希望があるってことにしときましょう。
とりあえず今日のところは、録画しておいたサッカー日本代表の試合を見ながら、のんびりだらだらと過ごしますわ(>_<)b